僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

C++はいいぞ

専門学校に入学してからプログラムを始めた。

 

Cからプログラムに入門して、ゲームプログラマとして歩み始めた訳だが、触り始めは当然「ポインタ?関数?何それ?」だった。しかしその1年後にはそれなりにゲームを作れるくらいには成長していた。

 

そして2年生になり、C++に触れる。当然始めはオブジェクト指向の考え方が分からず、何をクラス化すればいいのか見当もつかなかった。それが1年後にはDirectX9APIと組み合わせて3Dのゲーム作品を1人で作れるくらいに成長していた。

 

そして今、プログラミングをし始めて2年半と2ヵ月、C++を触り始めて1年半と3ヵ月になる。入学前の自分からは考えられないほどプログラミングに詳しくなった。もちろんプログラミングは奥が深く、特にC++は黒魔術などと言われたりもするくらいの代物だ。まだまだ初級者であるのは重々承知しているが、それでも同じタイミングでプログラミングを始めた周囲の人間の大半よりかはC++に関する知識、プログラミングの考え方は備えているつもりだ。ここが自分の武器になっているはずだから自信を持って言いたい。

しかも最近感じるのが、成長速度が上がっている点だ。2年の就活や3年になってからの一人暮らしのためのバイト2つかけもち、制作、学校や内定先の課題など、忙しい中でどうやりくりするかを考えて実行してきた結果としてタスク処理能力が以前より上がったのは間違いない。そうすることでプログラミングについて何か疑問に思った時も、調べて試して身に着けるスピードが上がっていると感じる。3年の始めよりも今の方が圧倒的にいいプログラムを組める自身がある。どういうふうにプログラムを組むべきか、オブジェクト指向コンポーネント指向、template meta programming(TMP)、いろいろなパラダイムに触れて実践を試みている。

またC++、というよりかはVisualStudioを主に使用しているため、VC++に関しての知識も調べて試している。就活では授業で習っていないことを学んでいるのをアピールに使ったりしていたが、今ではそれが当たり前になっている。疑問に思ったらすぐに調べるくせが付いた。pcでもスマホでも気になれば即座に調べ、そこから気になるリンクがあればそれも踏んで先へ先へ。おかげでpcのchromeはonetabのスタックが大量にあり、スマホchromeのtabが50くらいはある。スマホでもonetabを使いたい。

 

最近は趣味でプログラムを組むようになってきた。こんなクラスはどうだろうと試してみたり、上手くいかなければ同じように考える人もいるだろうとコードの一部をコピペしてそのまま検索をかけたり、実際でてきてこんな考え方もあるのかと参考にしたり、先生や同じくプログラムが好きな友人とプログラムの処理内容や組み方について話すのも好きだ。

少し前に、自作クラスは使用せずC++stlさえincludeすれば使用可能な完全疎結合なクラスができた時は本当に気持ちが良かった。インターフェイスもこれは綺麗だというものができ、実際使ってみて非常に便利だと感じた。作って1月ほど経つが、今でもこのクラスが現時点で自分史上最高のクラスだと思う。チーム制作で作ったクラスなのだが、思わずメンバーに使ってほしいとこぼすほどだった。

また今日はC++でのリフレクションを実装した。これは趣味だ。以前自分で組んでみたが上手くいかず、制作に関して先生に相談しに行ったついでに見てもらったところ解決した。やはりtemplateはエラーがわかりづらい。エラー箇所ばかりに目をやってしまって、本来のエラーを起こしている箇所から目をそらされる。Conceptを、早く。C++17では叶わなかったそうなので最短でもC++20、3年後になる訳だが。

ここ数日でTMPの楽しさに気づいてしまったのでもうC++の沼に足を突っ込んでしまった。templateの特殊化、traitsやsfinae辺りの情報を見た時点でヤバそうと思ったが、traitsを理解して身に着けた段階でもう沼に入っていたのかもしれない。traitsは簡単なのでtemplate沼の入門に向いてる気がする。プログラム好きな友人にtemplate楽しいと伝えるとそのまま「constexpr沼にハマるといいと思います」とのこと。Sproutを作った人の気持ちが少し理解できた気がする。

 

このままだと延々楽しいと語ってしまいそうなのでそろそろ終わりにする。

C++はいいぞ。プログラミングは良いぞ。

初めて自分を素直に出せる人を見つけた

  最近、もっとわがままになって自分を素直に出そう。今まで自分を甘やかしてくれる人がいなかったのだから、せめて自分で自分を甘やかそう。でも睡眠に関しては自分に厳しくしてしっかりと取ろう。普段のパフォーマンスに関わるから。と、自分への接し方を見つめ直したりしている。そうしている内に気になったのが、自分の周りへの態度だ。基本的に同性には自分を素直に出せていると思うのだが、異性には何故かできない。逆に悩みを相談したりなどは同性にはできず、異性にはできる。これが自分でもよく分からない。普段よく接する分には同性のが楽だ。だが相談だとか深い関係になるのは異性のがいい。やはりよく分からない。普段自分を素直に出せない人に対して何故相談できるのだろう。何故普段自分を出せている人に対して相談できないのだろう。もっとわがままになって自分を素直に出そう、と言ったもののこれでは同性にも異性にも自分を出せないのと同じなのではと考えた。

 じゃあ解決策が出たのかと言うと出てない。これを書いていてそれっぽい答えが出るかもしれないが、出るとは言ってない。しかし最近1つ気になることができた。遊んでいて特に居心地の悪さを感じない人がいたからだ。むしろ良かったとさえ思う。

 今まで好きになった人たちに対して「一緒にいて居心地が良い」というのを感じたことがなかった。居心地が悪ければそもそも好きにならない。だから悪くはなかったのだろうが、良いとも感じたことがなかった。居心地の良さは人を好きになるための十分条件であって必要条件ではないらしい。だがほんの少しだけ居心地の悪さを感じていたような気もする。これは僕が好きな人に対して依存する体質があるからだろうが、相手に嫌われることを恐れていたからかもしれない。居心地がそんなに悪くもなく、他にもいろいろな条件が重なって好きになったが、好きになったことがきっかけで嫌われるのを恐れてほんの少し居心地が悪くなる。発言に気を使わないといけないという気持ちが出てきて言葉を選ぶなどする。だから結果的に居心地の良さにマイナスの補正がかかる。

 以上のことを踏まえると、好きな人にだけ自分が出せなくなるのであって、そうでない異性には出せるのでは?という話になる。それがそうではない。では接する異性の全員が好きなのかと言う話になるが、それも違う。が、正解に近い答えにはなっている。接する異性の全員に、この人は僕を愛してくれるだろうかと期待を寄せているからだ。

 僕は親に愛されてきたという実感がない。そのため常に誰かに愛されたいという愛情飢餓な状態だ。最近は気持ちが落ち着いているが、たまに誰かに愛されたくて仕方が無くなることがある。要は寂しくて仕方がないんだろう。親に愛された実感がない人にはわかるかもしれないが、愛されないということは認めてもらえないということだ。子供にとって親は人生でたった2人しかいないかけがえのない人間だ。ましてや小さい頃は基本的にその2人の世話になる。20歳ごろになるとたいていの人は親元を出て働いたりしていく訳だが、人間100歳まで生きるとして、人生の5分の1を親と過ごすのだ。このいかにも子供の人生にとって重要極まりない親に愛されていない、認められていないというのは、子供の人生に重大な欠陥を及ぼす可能性が大きい。その結果が今の僕だ。親という重大な人間に愛されず、認められず、その結果自分でも自分を愛せず、認められない。このことに気づいて変えようと努力はしている。だが、物心がついてから今までずっと蓄えられてきた愛されていない、認められていない悲しさはちょっとやそっとではどうにもならない。そのため今でも自分を愛してくれる人が誰もいない、誰にも認めてもらえないと、寂しくて仕方が無くなる時がある。だから、僕は常に自分を愛してくれる人を探している。愛情に飢えている。だから、接する異性の全員が好きなのではなく、接する異性の全員に、愛されるチャンスがあるかを見ているんだと思う。この人は自分を愛してくれるだろうか。そんな風に見ているのかもしれない。

 じゃあ遊んでいて居心地の悪さを感じなかった、むしろ良いと感じた人は何なのか。これが分からない。単に自分が、自分を愛し認めることができるようになり、他人に愛されなくともある程度どうにかできるようになったのかもしれない。それとも、今まで会って来た異性がたまたま全員相性が悪かったのかもしれない。その人のことが好きかというと分からない。居心地の良さを感じたという点では気になってる。

 今回のことを短くまとめると、「初めて自分を素直に出せる人を見つけた」ということだ。異性には普段から自分を出せない居心地の悪さを感じていたが、それがない人がいた。であれば、その人と相談できるくらいの仲になれば、自分を完全に素直に出せるということになる。なれるかどうかはまた別の話として、そういう人がいたというのが大きい。別にこの広い世の中、自分を素直に出せる人がその人ただ1人とも限らないだろう。1人もいないとなると辛いかもだが、1人いれば他にもいるだろうと思える。何だかゴキブリ扱いみたいだがそういうことだ。

 毎回気持ちを整理したい時にここにこういったことを書いているが、今回もそうだ。だから特に落ちもなく終わる。思ったことを書きなぐって、文章を整理して、読み直すことで気持ちを整理することができる。今自分は何を考えているのか段々と、モヤモヤしたものが鮮明になっていく。特に他人に見られることは考えていない。更新の度にTwitterで流してはいるが、まぁ共感してくれる人がいて、その人の感情の整理にでも役立てばいいなぁという程度だ。だからそんなに他人に見られることは考えておらず、色を付けたりなどして読みやすくするということはしてない。大して文章が上手だとも思わないが、そこまで下手だとも思わないので、共感してくれる人や物好きはこれでも読むんじゃないだろうか。何となく最後にこんなことを書いて、終わる。

わがままになろう

凄い久しぶりに書く。気持ちを整理するために書いてる。

前々から薄々気づいてはいたんだけど、僕は支配欲が強いのかもしれない。

AC(アダルトチルドレン)の症状の一例として、「愛情と支配欲を混同する」というものがある。多分これだ。

結構前からそれらしき部分は見えてたんだけど、気づかないふりをしてた気がする。

僕には何かと人が困ってると助けたくなるところがある。相手が喜んでくれる、感謝される、褒められる、自分も相手も良いことしかない。誰も不幸にならない。一見良いことのように見えるが、僕はこれを利用して裏で相手より優位に立ちたいと思ってる。気がする。

基本的に見返りはあまり求めないようにしてる。しんどい時は相手の好意を求めたりするし、たまに冗談半分で求めることもあるが、何もしないからと言って文句を言ったりすることはない。

でもこれはある程度仲の良い友達の話であり、それらとは別枠に入る人には違ってくる。自分の好きな人。自分を苦しめた人。そういった人には見返りを求めている。好きな人には極力求めないように努めるが、僕の相手に尽くす性格上あまりにも見返りがないと限界が来る。お互いの好意のバランスが保てなくなるとでもいうのだろうか。この尽くすというのも一方的なものになっているんだろうけど。自分を苦しめた人には、言えばサンドバッグになってやったんだから当たり前だろ?といった具合だ。親に対して特に思うし、昔僕をいじめていた人間にも思う。

この「尽くしてやったんだから」、「ストレスのはけ口になってやったんだから」、「言うこと聞けよ」というのが僕の愛情であり、支配欲なんだと思う。無条件ではない、条件付きの愛だ。こんなものは愛情と呼べないんだけども、悲しいが僕にとってはこれが愛情らしい。

何故支配欲が強いということに気づいたのか。

それは時折自分の中で起こる妄想がきっかけだった。

僕は小さい頃から親に甘えることができなかった。

自分のことを褒めずに怒ったり、否定したり、普段の言動もネガティブな事ばかりで、そんな親が嫌だったんだろうと思う。はっきりとした理由もわからず小学生中学年の頃には親を避けていた。

だから僕は、未だ見ぬ誰かに優しくされ甘える妄想をよくしていた。

普通の家庭なら親子間で築かれるであろう信頼の元、与えあえる無条件の愛。

それを僕は小学生の頃からずっと求めている。

小学生高学年の頃、寂しさから妄想で兄弟と遊び、姉を作って甘えていたことがあった。今も誰かに甘える妄想をするのもこれと同じだろう。

しかしそれとは別の妄想をすることもある。

これが気づいたきっかけだ。支配欲を満たす妄想だ。

中学2年の夏休み明け、不登校になった。

主な理由は学校とは関係ないのだが、いじめも理由の1つではあった。そして苦しんでいる僕の気持ちを考えない親の言葉が僕を更に苦しめる。

そんな中僕をいじめた人間や親を支配する妄想をするようになっていた。

設定を事細かに決めていた訳ではないが、とにかく自分が相手より優位に立っていて、相手は逆らえない状態で、自分の思う通りに相手を使う。

ボロボロになった精神を少しでも落ち着かせるための手段だったんだと思う。

これだ。この異常な苦しみが僕の中の愛情の定義を歪んだものにしたんだ。

自分が苦しんで、相手が支配欲を満たして、次に自分が支配欲を満たして、相手が苦しんで。結果的にどっちも良い思いをしてる。本当はプラスマイナス0なのに。本当の愛情はプラスに対してプラスで返す。完璧な人はいないから、そりゃ普通の人も多少は言うこと聞けよと思うかもしれないが、度が過ぎれば歪んだ愛情になる。

親以外の僕をいじめた人間などにも原因は少なからずあるだろうが、やはり親がメインの原因だとは思う。僕と同じ見返りを求める、条件付きの愛しか与えられない人間だからだ。

産み育ててやったから、ご飯を作っているから、学校の金を出しているから、住ませてやってるから、言うこと聞け。

そもそも子供は親が産む産まないを決めるものであって、子供から産んでください、育ててくださいと頼みに来るものではない。

自分が勝手に産んだにも関わらず「〇〇してやってるんだから言うこと聞け」とは身勝手にもほどがある。

産んでくれて育ててくれてありがとうと思うのは子供の自由であり、思うことを強制されるものではない。

結局はこうした条件付きの愛しか与えられずに育ったが故に、自分も条件付きの愛しか与えられなくなってしまったんだろう。それしか愛の形を知らないから。

だからだ。虐待被害者の子供が親になると、虐待をしてしまうと言われるのは。

気づいたなら治せるのかもしれない。

だがこの愛し方は自分が物心つく前から教えられてきたものだ。

しかもその親の元にもう20年近くいる。

人生を100年生きたとして、人生の1/5を共に過ごしてきて、人のことはこう愛するものだと教えられた。

果たしてそれでも治せるか。正直自信が無い。

自分と言う人間の根っこの部分だ。

人間の成長を建築に例えるのであれば、だんだんと完成が見えてきたタイミングで土台となる部分を変えようと言ってるようなものだ。

今更大黒柱の位置を変えることなどできない。

建築に詳しくないから場合によってはできるのかもしれないが、できるにしてもやはり大きな手間がかかるだろう。

人間の根っこを変えるなんてそうそうできやしない。

少なくとも10年やそこらで変わるとは思えない。

同じ20年という時間がかかるかもしれない。その時にはもう40歳だ。

倍の40年かもしれない。もう60歳だ。60年、80歳だ。

仮に努力を重ねて変えれたとしても、その時にはもう老いて、場合によっては死が間近だったり、人生を楽しむ余力も残っていない可能性もある。

酷い世の中だと思う。

死ぬのは怖い。

このまま生き続けるのも怖い。

弱弱しい人間なのはわかっているし、それに苛立つ人もいるだろうが、これは僕の責任の範疇を超えている。

産まれる場所、親、育つ場所、周りの人間、自分が愛されるかどうか、いじめられるかどうか、運でしかない。

僕はゲームは好きだが運の要素が強い、つまり自分の実力でどうにもできない要素が多々あるゲームは嫌いだ。

人生は運で決まる。

あるゲームで、強い人は配られたカードに文句を言わず、そのカードで如何にして勝つかを考えるというセリフがあった。

確かにそうするしかないし、それで上手くいく人もいるだろう。

というか、僕自身も小学生の頃から働きたいと言っていた業界に就職が決まった時点でそれを実践できているんだろう。

しかし、それでも、生きるのが苦しい。

早く楽になりたい。

 

だいぶ気持ちが落ち着いてきた。

 

最近死ぬときはどう死ぬのだろうとよく考える。

昔はいろんな人に愛されて惜しまれながら死にたいと考えていた。

せめて死ぬときはたった一人の大事な人に側にいてほしいとも。

だが最近はそんなこともなくコロッと死ぬんだろうと思ってしまう。

自分が思いもしないタイミングで唐突に「よし、死のう」と行動に移してしまうような気がする。

どう終わるかなんてわからないし、これからどう生きるかもわからない。

ただ誰かに愛されていると感じてみたいし、その人と愛し合ってみたい。

愛されてることに疑いなんて持たず、愛し方に疑問なんて持たず、自然体で無条件に愛し合いたい。

結果がどうあれ僕は今まで生きることをサボったことは一度もない。

不登校になって学校をサボろうとも、人が信じられなくなり人間関係をサボろうとも、いつだって必死に生きてきた。

自分の人生に恥はない。

だからまずは、自分を愛してやろうと思う。

糞ほど辛くても必死に生きてきて、頑張って小さい頃からの夢を叶えた自分を褒めて、労ってやろう。

過度に褒めて労うくらいがちょうどいい。

過度に褒められなかったんだ。僕の苦労を全て話せて、労ってくれる人もいなかったんだ。

少しは話せる人もいたけど、何を言っても受け入れてくれるから大丈夫、という人はいなかった。

他人の目を気にし過ぎず、できるだけわがままになろう。

誰も甘やかしてくれないなら、自分で自分を甘やかそう。

苦しいなら吐けばいい。

何だこいつネガティブだなと嫌われてもいい。

嬉しいなら周りに嬉しいと言えばいい。

何だこいつ自慢したがりかと嫌われてもいい。

結局苦しいのを伝えても嬉しいのを伝えても嫌われるときは嫌われる。

自分に正直に生きればいい。

もうすぐ1人暮らしで親からも解放される。

特に何も抱えていない普通の人よかよっぽど苦労は絶えないだろうが、糞みたいな人生歩んできたならわがままになって楽になってもバチなんて当たらないだろう。

僕はわがままになる。

最近生きてるのがしんどい

 人間何かしら楽しいことがあるから生きてるんだろうが、その楽しみも最低限の生活が保たれていることが前提な気がする。今の日本で言うなら衣食住が満たされている環境だ。そこにプラスαとして趣味などがあることで楽しく生きられるんだと思う。一般的にはそんな感覚で合ってるのだと思う。だが僕は最低限の生活として「誰かに愛されてる感覚」というのが隠れてると感じる。今時衣食住に関しては困る人はほとんどいない。生活保護などもあるからだ。しかし愛情に関してはどうだろう。誰かが満たしてくれる保証は一切ない。たいていは親が愛してくれるけれども、僕のように愛されてなどいないと感じて育ってきた人も大勢いる。そしてこれは生活保護のように事務的に処理できるものでもないため、国の支援などが仮にできたとしても純粋に愛してもらえるということは絶対にありえない。

 親がダメなら恋人だと言っても、親に愛されずに育ってきた人間ほど上手くいきづらい。親に愛されて育ってきた人と違って愛情の欲求が強いからだ。欲求が強いこと以外にも問題のある親であれば悪影響はいくらでも出てくる。そのため愛されようと努力しても空回りしたりむしろ傷ついたりすることがほとんどだ。ここら辺は毒親とかの話になるので気になるのであれば「毒親」とか「アダルトチルドレン」で検索してみてほしい。

 だから生きてても辛いことの方が多い。今21年とちょっと生きてきてるが、辛いことの割合の方が圧倒的に多い。最近はじぶんの努力が上手く実ってくれていてまだマシになってきてるが、それでも8:2くらいの割合だと思う。やはり誰にも愛してもらえないというのは堪える。じゃあ何で生きてるのってなるが、人間、というか動物ならたいていそうだろうけど死ぬのが怖いから。後どうなるかわかりもしないのに未来に希望を持ってしまうから。誰かに愛されたいから。これが厄介だ。死ぬのが怖いのは行動に移してしまえばそれっきり終わりなんだけれど、希望を持つのはどうしようもない。自分が今まで経験してきた苦痛よりも更に大きい苦痛を伴わなければ、これを乗り越えて命を絶つことはできない。つまりは自発的にどうこうできる類のものではないのだ。もし仮に今から死ぬまでの間に誰にも愛されないことが確定していてそれを知ることができたなら、後は怖さだけ克服して行動に移せば死ぬことができる。思い残すことがないからだ。誰にも愛されないことが確定しているならば、誰かに愛されたいから生きるということがなくなる。知らない方がいいのかどうかはさておき確定していて知る機会があれば多分死ぬ道を選ぶと思う。だから僕は最低限の生活として「誰かに愛されてる感覚」が含まれると考える。

 じゃあ衣食住が生活保護で保証されるように、愛情を保証するにはどうすればいいか。これは先ほども書いたように事務的に処理することは絶対にできず、赤の他人がどうこうできる問題ではない。そもそも毒親の元で生まれ育った時点で愛情の問題だけでなく生き辛さを抱えながら生きることが確定するため、後から対処するのも難しい。ならば生まれる前から保証する必要がある。毒親に子供を産ませないようにするのである。どうするのかというと、資格のようなものを設けるのだ。子供を産み育てるのに問題がないか、適正があるかを見るのだ。これが仮に実現すれば良かれ悪かれ今とは全く違った世界になるだろう。しかし案外悪くないのではないかと思う。子供を産むのに資格がいるなんてと思うかもが、今の世の中子育ては一発勝負だ。2人目3人目ならともかく、では1人目は実験台か何かかと思えてしまう。この一発勝負の現状が良くない。新しく親となる人に毒親でないまともな親や、仲が良く親切な友人などがいればサポートがあって一発勝負でも上手くいくかもだが、全員がそうではない。にも関わらず一発勝負で子育てについて学ぶ機会もなしにいきなり子供を育てることになる。僕の親がそうなのだが、場合によっては「子供が欲しいから産む」のではなく、「できたから産んだ」となりかねない。良い親に恵まれればこれでも別にいいじゃないかと思うかもだが、そうでなかった僕からすればこれは最低だと思う。1つの命を産むことの重大さをわかってない。欲しいから産むのは自分が今からすることの覚悟がある程度できてる人のすることだ。できたから産むのは覚悟も何もできてない人がすることだ。子供がどんな人生を歩むかなんか誰にもわからない。幸せに生きるかもしれないし、不幸を感じながら自殺するかもしれない。幸せになれればいいが、ひたすらに苦しみ続けている子供の責任は誰が負うべきか?それはその子を産んだ親だ。だからこそ親は子供が幸せになれるようサポートをするべきだし、親元を離れてからももしもの時は頼れるセーフティネット、命綱であるべきだ。実際になれなかったとしてもそうなる努力をするべきだ。というかまともな親ならこれを言われなくても実践している。少なくとも子供の人格を否定したりはしない。

 だからこそ子供を産むこと、命を1つ作り上げることの重大さを学ぶために資格を設け、取得していなければ子供を産んではいけない決まりにするのがいいと僕は考える。でないと毒親が子供を産み、その子供が親の毒により悪影響を受け、その人自身が毒親と化す世代間の負の連鎖がいつまでも止まらないだろう。毒親は日本に限った話ではないが、日本は自殺大国などとも呼ばれ、毒親問題はその一旦を間違いなく担っていると考える。それを解決するための1つの手段として、子供を産むことに資格を設けることはそう悪くない手段だと思うのだが、これを読んだ人はどう思うだろうか。

面接で気を付けたいこと

 面接って今まで何かと準備や心構えをして臨むものだと思っていたけど、今就活をしていてそんなことないなーと思ったのでちょっとまとめたくなったから書く。

 

 面接の目的って結局は自分がどんな人間かを知ってもらうことだと思う。履歴書とかエントリーシートだけじゃわからない詳細な部分を知ってもらって、そのうえで自分がその会社に合うかどうか判断してもらう。だから、ネットで調べて面接では〇〇すべきだ!なんて書いてるのをそのまま真似ても取り繕ってるだけだからボロが出やすいし、出なくても入社後に合わない訳だから困る場面も出るかもしれない。結局は自分の素を見てもらってそれで受け入れて貰える会社を探すしかない。だから面接に向けて練習すべきなのは如何に取り繕って自分を良く見せるかではなく、如何に自分がどんな人間かを伝えることだ。

 

 自分がどんな人間か知ってもらうためには自分を説明しないといけない。説明する時に気を付けないといけないのが、まず結論から話すことだ。例えば自己PRをしてくださいと言われたとする。当然履歴書に書かれてることとは別のことを言う訳だが、その時に私は〇〇で△△で▢▢だから◇◇です!と結論を最後にしたとする。そうすると、それを聞いていた人は最後の◇◇の部分に至るまでの内容を全て記憶している必要がある。これはなぞなぞをしている時と同じ状態だ。「それは四角くて茶色で、食べると甘いものです。…答えはチョコレートです」。例えが下手で申し訳ないが感覚が似てるのはわかってもらえただろうか。四角いという説明をした時点で無数の物が浮かぶ。茶色でだいぶ絞られるだろうが人に寄ってはテーブル、レンガなどを思い浮かべる。食べると甘いでようやくチョコレートだろうと予測がつく。このように解答であるゴールを予測し、かつ内容を覚えておかなければならないことは聞いている身としては少々しんどい。今は文面なので読み返せるが、面接であれば会話だ。先ほどのチョコレートの話を結論から話すとすると、こうなる。「チョコレートは食べると甘く、四角くて茶色いです。」どうだろうか。同じチョコレートの説明であることに変わりはないが、受け取りやすさが断然違う。四角、茶色、甘いの3つの要素を使ったチョコレートの説明でこの違いだ。これが自己PRとなるとどうだろう。3つで済むだろうか?済むとすればそれは内容の薄い自己PRとなり、結果として伝わったとしてもあまり好印象ではないだろう。要素を多くしてより自分のことを詳しく知ってもらいつつ、好印象を与えるにはやはり結論をまず話すことを推奨する。これはもはや癖のレベルなので普段から意識するしかない。

 

 もちろん面接では他にも気を付けた方がいいことはたくさんあるだろうが、何よりも気を付けるべきなのがこの説明の仕方だと思う。結論を始めに話すことで相手に負担をかけずに済むからだ。面接では自分のことをより多く話すべきだが、相手に負担をかけてしまっては相手が早く終わらせたいと思ったりして、途中から話を雑に聞きかねない。一番始めに書いたが面接は自分がどんな人間か知ってもらう場だ。例えどんなに凄い技術力と優しい人間性を持っていたとしても、それが伝わらなければ意味がない。特に人間的な部分というものは履歴書ではほぼ伝わらない。自己PR欄で伝わるかもだが、スペースが限られているし、そのすべてを人間的な部分で埋めるのももったいない。となると伝わりづらいのだ。技術的な部分は大会に出たとかを書けば例え短くてもアピールできるが、人間的な部分に関しては資格や大会などがない。あったとしてもマイナーなためアピールとしては正直弱いだろう。そうなると面接で知ってもらうしかないのだ。伝える能力というのは仕事でも必要だし、いわゆるコミュニケーション能力の一つだ。普段から結論をまず話す癖を付けるだけで説明する力が変わるため、説明が下手だと感じる人はやってみてはどうだろうか。

人生をやりなおしたいと思ったら

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人生をやりなおしたいと思ったら

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 たまに今現在人生が上手くいってないから「人生をやりなおしたい」と言う人がいる。上手くいっててもやりなおしたいと言う人もいるかもしれないが、上手くいってないと思う人は少し立ち止まって考えてみてほしい。本当に自分は人生が上手くいってないのかと。

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本当にやりなおす必要はあるのか

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 人生をやりなおすということは、いわゆる強くてニューゲームのようなことだ。ゲームをクリアした時にその時のレベルであったり所持金、持ち物などを引き継いでもう一度ゲームを始めから遊ぶ。人生をやりなおすということはたいていの人は今の知識を持ったままやりなおしてみたいというパターンが多いだろう。しかし現実問題やり直すことは不可能だ。もしかしたら通常ではあり得ない超常現象が起きて可能になることもあるかもしれないが、基本的にはそんなことはできないとされている。だから、人生が上手くいってないからやりなおしたいと言う人は時に絶望して自身を殺める。しかし考えてみてほしい。今の知識を持ったままやりなおしたいということは、今の自分は昔と比べて成長しているということだ。今の自分も昔の自分も変わらないのであれば知識を引き継いでやりなおすことに意味はない。人生が上手くいってないと思う人は自分を過少評価する傾向が強いかもしれないが、自分が少しずつであっても成長しているということに気づけば、少しは自分に自信が持てるんじゃないだろうか。

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今がダメでも後に成功する可能性はある

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 成長というものをゲームに例えて見てみよう。あるゲームではキャラクターのレベルを上げていき、一定のレベルになると見た目が変わり大きく能力も上がる。そしてその一定のレベルというものはキャラクター毎に違い、またレベルを上げるために必要な経験値にも違いがある。強化されるレベルが低いかつ、必要な経験値も少なくて済むキャラクターは周りから見ればどんどんと成長していく優秀なキャラクターだろう。逆に強化されるレベルが高いかつ、必要な経験値も多いものはなかなか育てるのが大変で苦労する。しかしその分強化された時には格別に強い力を持っていたりする。これらは現実の世界にも十分当てはまる。見た目が変わるとかはさておき、人によって成長具合に差があるのは確かだし、子供の頃は苦労したが後から成功した有名人などもいる。もちろん全員がそうなれる訳ではないが、可能性はある訳だ。例え周りが何と言おうと世の中の全ての人は成功できる可能性がある。歴史に名を残すレベルの人でも子供時代は酷評されていたりするものだ。

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自分もそうだった

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 僕自身今までの人生は幸せなものだったかと訊かれると絶対に答えはNOだが、最近になってどうにか良い評価を得られたり、良い人に恵まれたりとこれが幸せなんだろうかと思えるくらいになった。ここから名を上げて世に知れ渡るレベルの有名人になるかどうかはともかく、少なくとも学校や外に行かず家に引きこもったり自殺を考えたりしていた人間がここまでになれればもう十分だ。もちろんより幸せになれるように自分自身を高めていくつもりだが、今はそこまで不幸だとは思わない。

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辛い思いをした人は他人の辛さを理解できる

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 また昔が散々酷かったが故に、低評価をされてしまう人間の気持ちがわかるのもメリットだと思う。例えば、低評価をされてこなかったような人であれば「何故あんなことをするのかわからない。後になって困るのは自分だろうに。普通はこうするだろう」と言うようなことでも、自分はそうしてしまう人の気持ちが分かるのだ。理由は人それぞれだが、自分が後になって困るとか聞いたとしても行動できないという感覚は本当によくわかる。こういった気持ちが分かるということは非常に大きな利点となる。その利点とは、低評価をされてしまう人たちを傷つけてしまうことが少なくなることだ。自分がかつてそうだった為に簡単に人に暴言を吐かないし、気持ちを理解しようとする。また、助けを求められた場合は自分の経験を活かしてアドバイスをすることも可能だ。もちろん後者のような経験は非常に限られるだろうが、前者であれば常日頃からそういった人たちを見下すことなく接することができる。学校であれば勉強面であったりなど目立つ部分は確かに低評価されているかもしれないが、それはその人のほんの一部に過ぎない。他にいいところなどはいくらでも存在する。そう、低評価をされてしまう人の気持ちがわかる最大の利点は、人の一部だけでなく全体を見ることができる点だ。だから、あの人のこの部分は嫌いだがこの部分は好きだ、といったように簡単に人を嫌って関係を切ることがなくなる。これは極端でもなければ接する人を選別しないということなので、多くの人と関係を築ける素質を持っていると言える。実際、僕自身は以前と比べて多くの人と関係を築くことができている。

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「成功」とは何かを成し遂げることだけを指す言葉ではない

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 ここまで僕自身の体験から、人生が上手くいっていないからやりなおしたいと思った人でも成功する可能性はあると書いてきた。もちろんこれに納得しない人もいるだろう。しかし、僕自身の人生が相当なレアケースだとも思わないので、きっと僕の考えに近く、納得する人も多くいるはずだ。もし今現在辛い思いをしていて、ここまで読んで納得する人がいるのであればどうか自分にも成功する可能性はあるのだと思ってほしい。どれだけ周りが低評価をしようと、自分に価値はあるのだと。ただ1つ注意してほしいのが、ここまで書いてきた成功という言葉に明確な意味がなかったことだ。何か目標を設定してそれを成し遂げたことを成功と言っていたのではない。僕自身は上手く成長して成功することができたと思っているが、別に何かしたかったことを成し遂げた訳ではない。むしろしたかったことは既に叶わなかった。おそらくまだ可能性はあるが、非常に低い。ただ、その目標に向かって努力した結果として多くのおまけがついてきた。目標を達成するよりもずっと価値のあるものだ。元々は予定していなかったことだが、そのおまけがあったから成功したと思えている。1つ目標を決めてそれを達成するために努力することは大切だが、それが叶わなかったからと落ち込まないでほしい。そこでまたこう思うかもしれない。「人生をやりなおしたい」と。だが既に伝えた通り、人生をやりなおす必要はない。そう思った時点であなたは大きく成長しているからだ。

親子間の縁切り

 卒業後は親との縁を切る方向で考えているので、しっかりと一人で生きていけるよう金の勉強もし始めたし、これから金を貯めるだけでなく様々なことを一人でできるようにならないといけない。ろくに家事もできないが、それも全てだ。料理もある程度は学んでおかないと節約や健康の敵になる。

 しかし、具体的に縁を切ると言っても何をするのか?それがわからないので軽く調べてみた。するとすぐにわかったのが「法的に親子の縁を切ることは不可能」ということだ。分籍というもので戸籍を外すことや、また結婚をすることで戸籍を別にすることは可能だが、それで相続権などが消える訳ではないらしい。他にも子供の方から申し出ることができる親権喪失や、親の方から申し出ることができる相続権を破棄させる手続きなどがある。あれ?相続権破棄できるじゃんとなったが、どうもこれを申し出てもなお消えない遺留分というものがあるらしく、それに関しては相続可能らしい。もちろん拒否することもできるが、結果としてどこまでやっても法的に親子間の縁を完全に切ることはできず、結局は気分の問題であるらしいことがわかった。つまり、僕が将来分籍した後に一人暮らしをしていようが、結婚して相手の家族になってようが構わずに、親が亡くなった場合はどこかから連絡が来るのだ。事前に拒否していない限りは。

 また扶養義務は親だけでなく、子にも発生するらしい。場合によっては扶養しなくてもいい場合はあるらしいが、やはり相続権同様自分たちが縁を切ったと思っていても、手続きなどは可能らしい。

 まぁ親もこちらを嫌っているので頼ってくることはないだろうというのが不幸中の幸いだ。何か手続きなどがいるのだろうかと今回調べたが、どうも手続きをしても縁切りっぽいことができるだけで切れないらしいというのがわかった。なら別にわざわざしなくてもいいだろう。卒業後就職と同時に引っ越しなどもするしそのうえ法的手続きもと考えたら頭が痛くなりそうだったが助かった。もちろん一般的な家庭のように親とも仲良くできればよかったしそれが理想なのだが、やはり無理だ。就職する時に身元保証人というのが必要な場合もあるらしいが、自分のような人たちの為にとそれもどうにかしてもらえる保証代行人というのがあるらしい。金はかかるが仕方ない。これから就職活動ももちろんしなくてはいけないが、早め早めに一人で暮らすどころか支援もない完全に一人で生きていくための準備をしなくては。