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僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

最近生きてるのがしんどい

 人間何かしら楽しいことがあるから生きてるんだろうが、その楽しみも最低限の生活が保たれていることが前提な気がする。今の日本で言うなら衣食住が満たされている環境だ。そこにプラスαとして趣味などがあることで楽しく生きられるんだと思う。一般的にはそんな感覚で合ってるのだと思う。だが僕は最低限の生活として「誰かに愛されてる感覚」というのが隠れてると感じる。今時衣食住に関しては困る人はほとんどいない。生活保護などもあるからだ。しかし愛情に関してはどうだろう。誰かが満たしてくれる保証は一切ない。たいていは親が愛してくれるけれども、僕のように愛されてなどいないと感じて育ってきた人も大勢いる。そしてこれは生活保護のように事務的に処理できるものでもないため、国の支援などが仮にできたとしても純粋に愛してもらえるということは絶対にありえない。

 親がダメなら恋人だと言っても、親に愛されずに育ってきた人間ほど上手くいきづらい。親に愛されて育ってきた人と違って愛情の欲求が強いからだ。欲求が強いこと以外にも問題のある親であれば悪影響はいくらでも出てくる。そのため愛されようと努力しても空回りしたりむしろ傷ついたりすることがほとんどだ。ここら辺は毒親とかの話になるので気になるのであれば「毒親」とか「アダルトチルドレン」で検索してみてほしい。

 だから生きてても辛いことの方が多い。今21年とちょっと生きてきてるが、辛いことの割合の方が圧倒的に多い。最近はじぶんの努力が上手く実ってくれていてまだマシになってきてるが、それでも8:2くらいの割合だと思う。やはり誰にも愛してもらえないというのは堪える。じゃあ何で生きてるのってなるが、人間、というか動物ならたいていそうだろうけど死ぬのが怖いから。後どうなるかわかりもしないのに未来に希望を持ってしまうから。誰かに愛されたいから。これが厄介だ。死ぬのが怖いのは行動に移してしまえばそれっきり終わりなんだけれど、希望を持つのはどうしようもない。自分が今まで経験してきた苦痛よりも更に大きい苦痛を伴わなければ、これを乗り越えて命を絶つことはできない。つまりは自発的にどうこうできる類のものではないのだ。もし仮に今から死ぬまでの間に誰にも愛されないことが確定していてそれを知ることができたなら、後は怖さだけ克服して行動に移せば死ぬことができる。思い残すことがないからだ。誰にも愛されないことが確定しているならば、誰かに愛されたいから生きるということがなくなる。知らない方がいいのかどうかはさておき確定していて知る機会があれば多分死ぬ道を選ぶと思う。だから僕は最低限の生活として「誰かに愛されてる感覚」が含まれると考える。

 じゃあ衣食住が生活保護で保証されるように、愛情を保証するにはどうすればいいか。これは先ほども書いたように事務的に処理することは絶対にできず、赤の他人がどうこうできる問題ではない。そもそも毒親の元で生まれ育った時点で愛情の問題だけでなく生き辛さを抱えながら生きることが確定するため、後から対処するのも難しい。ならば生まれる前から保証する必要がある。毒親に子供を産ませないようにするのである。どうするのかというと、資格のようなものを設けるのだ。子供を産み育てるのに問題がないか、適正があるかを見るのだ。これが仮に実現すれば良かれ悪かれ今とは全く違った世界になるだろう。しかし案外悪くないのではないかと思う。子供を産むのに資格がいるなんてと思うかもが、今の世の中子育ては一発勝負だ。2人目3人目ならともかく、では1人目は実験台か何かかと思えてしまう。この一発勝負の現状が良くない。新しく親となる人に毒親でないまともな親や、仲が良く親切な友人などがいればサポートがあって一発勝負でも上手くいくかもだが、全員がそうではない。にも関わらず一発勝負で子育てについて学ぶ機会もなしにいきなり子供を育てることになる。僕の親がそうなのだが、場合によっては「子供が欲しいから産む」のではなく、「できたから産んだ」となりかねない。良い親に恵まれればこれでも別にいいじゃないかと思うかもだが、そうでなかった僕からすればこれは最低だと思う。1つの命を産むことの重大さをわかってない。欲しいから産むのは自分が今からすることの覚悟がある程度できてる人のすることだ。できたから産むのは覚悟も何もできてない人がすることだ。子供がどんな人生を歩むかなんか誰にもわからない。幸せに生きるかもしれないし、不幸を感じながら自殺するかもしれない。幸せになれればいいが、ひたすらに苦しみ続けている子供の責任は誰が負うべきか?それはその子を産んだ親だ。だからこそ親は子供が幸せになれるようサポートをするべきだし、親元を離れてからももしもの時は頼れるセーフティネット、命綱であるべきだ。実際になれなかったとしてもそうなる努力をするべきだ。というかまともな親ならこれを言われなくても実践している。少なくとも子供の人格を否定したりはしない。

 だからこそ子供を産むこと、命を1つ作り上げることの重大さを学ぶために資格を設け、取得していなければ子供を産んではいけない決まりにするのがいいと僕は考える。でないと毒親が子供を産み、その子供が親の毒により悪影響を受け、その人自身が毒親と化す世代間の負の連鎖がいつまでも止まらないだろう。毒親は日本に限った話ではないが、日本は自殺大国などとも呼ばれ、毒親問題はその一旦を間違いなく担っていると考える。それを解決するための1つの手段として、子供を産むことに資格を設けることはそう悪くない手段だと思うのだが、これを読んだ人はどう思うだろうか。

面接で気を付けたいこと

 面接って今まで何かと準備や心構えをして臨むものだと思っていたけど、今就活をしていてそんなことないなーと思ったのでちょっとまとめたくなったから書く。

 

 面接の目的って結局は自分がどんな人間かを知ってもらうことだと思う。履歴書とかエントリーシートだけじゃわからない詳細な部分を知ってもらって、そのうえで自分がその会社に合うかどうか判断してもらう。だから、ネットで調べて面接では〇〇すべきだ!なんて書いてるのをそのまま真似ても取り繕ってるだけだからボロが出やすいし、出なくても入社後に合わない訳だから困る場面も出るかもしれない。結局は自分の素を見てもらってそれで受け入れて貰える会社を探すしかない。だから面接に向けて練習すべきなのは如何に取り繕って自分を良く見せるかではなく、如何に自分がどんな人間かを伝えることだ。

 

 自分がどんな人間か知ってもらうためには自分を説明しないといけない。説明する時に気を付けないといけないのが、まず結論から話すことだ。例えば自己PRをしてくださいと言われたとする。当然履歴書に書かれてることとは別のことを言う訳だが、その時に私は〇〇で△△で▢▢だから◇◇です!と結論を最後にしたとする。そうすると、それを聞いていた人は最後の◇◇の部分に至るまでの内容を全て記憶している必要がある。これはなぞなぞをしている時と同じ状態だ。「それは四角くて茶色で、食べると甘いものです。…答えはチョコレートです」。例えが下手で申し訳ないが感覚が似てるのはわかってもらえただろうか。四角いという説明をした時点で無数の物が浮かぶ。茶色でだいぶ絞られるだろうが人に寄ってはテーブル、レンガなどを思い浮かべる。食べると甘いでようやくチョコレートだろうと予測がつく。このように解答であるゴールを予測し、かつ内容を覚えておかなければならないことは聞いている身としては少々しんどい。今は文面なので読み返せるが、面接であれば会話だ。先ほどのチョコレートの話を結論から話すとすると、こうなる。「チョコレートは食べると甘く、四角くて茶色いです。」どうだろうか。同じチョコレートの説明であることに変わりはないが、受け取りやすさが断然違う。四角、茶色、甘いの3つの要素を使ったチョコレートの説明でこの違いだ。これが自己PRとなるとどうだろう。3つで済むだろうか?済むとすればそれは内容の薄い自己PRとなり、結果として伝わったとしてもあまり好印象ではないだろう。要素を多くしてより自分のことを詳しく知ってもらいつつ、好印象を与えるにはやはり結論をまず話すことを推奨する。これはもはや癖のレベルなので普段から意識するしかない。

 

 もちろん面接では他にも気を付けた方がいいことはたくさんあるだろうが、何よりも気を付けるべきなのがこの説明の仕方だと思う。結論を始めに話すことで相手に負担をかけずに済むからだ。面接では自分のことをより多く話すべきだが、相手に負担をかけてしまっては相手が早く終わらせたいと思ったりして、途中から話を雑に聞きかねない。一番始めに書いたが面接は自分がどんな人間か知ってもらう場だ。例えどんなに凄い技術力と優しい人間性を持っていたとしても、それが伝わらなければ意味がない。特に人間的な部分というものは履歴書ではほぼ伝わらない。自己PR欄で伝わるかもだが、スペースが限られているし、そのすべてを人間的な部分で埋めるのももったいない。となると伝わりづらいのだ。技術的な部分は大会に出たとかを書けば例え短くてもアピールできるが、人間的な部分に関しては資格や大会などがない。あったとしてもマイナーなためアピールとしては正直弱いだろう。そうなると面接で知ってもらうしかないのだ。伝える能力というのは仕事でも必要だし、いわゆるコミュニケーション能力の一つだ。普段から結論をまず話す癖を付けるだけで説明する力が変わるため、説明が下手だと感じる人はやってみてはどうだろうか。

人生をやりなおしたいと思ったら

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人生をやりなおしたいと思ったら

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 たまに今現在人生が上手くいってないから「人生をやりなおしたい」と言う人がいる。上手くいっててもやりなおしたいと言う人もいるかもしれないが、上手くいってないと思う人は少し立ち止まって考えてみてほしい。本当に自分は人生が上手くいってないのかと。

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本当にやりなおす必要はあるのか

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 人生をやりなおすということは、いわゆる強くてニューゲームのようなことだ。ゲームをクリアした時にその時のレベルであったり所持金、持ち物などを引き継いでもう一度ゲームを始めから遊ぶ。人生をやりなおすということはたいていの人は今の知識を持ったままやりなおしてみたいというパターンが多いだろう。しかし現実問題やり直すことは不可能だ。もしかしたら通常ではあり得ない超常現象が起きて可能になることもあるかもしれないが、基本的にはそんなことはできないとされている。だから、人生が上手くいってないからやりなおしたいと言う人は時に絶望して自身を殺める。しかし考えてみてほしい。今の知識を持ったままやりなおしたいということは、今の自分は昔と比べて成長しているということだ。今の自分も昔の自分も変わらないのであれば知識を引き継いでやりなおすことに意味はない。人生が上手くいってないと思う人は自分を過少評価する傾向が強いかもしれないが、自分が少しずつであっても成長しているということに気づけば、少しは自分に自信が持てるんじゃないだろうか。

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今がダメでも後に成功する可能性はある

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 成長というものをゲームに例えて見てみよう。あるゲームではキャラクターのレベルを上げていき、一定のレベルになると見た目が変わり大きく能力も上がる。そしてその一定のレベルというものはキャラクター毎に違い、またレベルを上げるために必要な経験値にも違いがある。強化されるレベルが低いかつ、必要な経験値も少なくて済むキャラクターは周りから見ればどんどんと成長していく優秀なキャラクターだろう。逆に強化されるレベルが高いかつ、必要な経験値も多いものはなかなか育てるのが大変で苦労する。しかしその分強化された時には格別に強い力を持っていたりする。これらは現実の世界にも十分当てはまる。見た目が変わるとかはさておき、人によって成長具合に差があるのは確かだし、子供の頃は苦労したが後から成功した有名人などもいる。もちろん全員がそうなれる訳ではないが、可能性はある訳だ。例え周りが何と言おうと世の中の全ての人は成功できる可能性がある。歴史に名を残すレベルの人でも子供時代は酷評されていたりするものだ。

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自分もそうだった

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 僕自身今までの人生は幸せなものだったかと訊かれると絶対に答えはNOだが、最近になってどうにか良い評価を得られたり、良い人に恵まれたりとこれが幸せなんだろうかと思えるくらいになった。ここから名を上げて世に知れ渡るレベルの有名人になるかどうかはともかく、少なくとも学校や外に行かず家に引きこもったり自殺を考えたりしていた人間がここまでになれればもう十分だ。もちろんより幸せになれるように自分自身を高めていくつもりだが、今はそこまで不幸だとは思わない。

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辛い思いをした人は他人の辛さを理解できる

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 また昔が散々酷かったが故に、低評価をされてしまう人間の気持ちがわかるのもメリットだと思う。例えば、低評価をされてこなかったような人であれば「何故あんなことをするのかわからない。後になって困るのは自分だろうに。普通はこうするだろう」と言うようなことでも、自分はそうしてしまう人の気持ちが分かるのだ。理由は人それぞれだが、自分が後になって困るとか聞いたとしても行動できないという感覚は本当によくわかる。こういった気持ちが分かるということは非常に大きな利点となる。その利点とは、低評価をされてしまう人たちを傷つけてしまうことが少なくなることだ。自分がかつてそうだった為に簡単に人に暴言を吐かないし、気持ちを理解しようとする。また、助けを求められた場合は自分の経験を活かしてアドバイスをすることも可能だ。もちろん後者のような経験は非常に限られるだろうが、前者であれば常日頃からそういった人たちを見下すことなく接することができる。学校であれば勉強面であったりなど目立つ部分は確かに低評価されているかもしれないが、それはその人のほんの一部に過ぎない。他にいいところなどはいくらでも存在する。そう、低評価をされてしまう人の気持ちがわかる最大の利点は、人の一部だけでなく全体を見ることができる点だ。だから、あの人のこの部分は嫌いだがこの部分は好きだ、といったように簡単に人を嫌って関係を切ることがなくなる。これは極端でもなければ接する人を選別しないということなので、多くの人と関係を築ける素質を持っていると言える。実際、僕自身は以前と比べて多くの人と関係を築くことができている。

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「成功」とは何かを成し遂げることだけを指す言葉ではない

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 ここまで僕自身の体験から、人生が上手くいっていないからやりなおしたいと思った人でも成功する可能性はあると書いてきた。もちろんこれに納得しない人もいるだろう。しかし、僕自身の人生が相当なレアケースだとも思わないので、きっと僕の考えに近く、納得する人も多くいるはずだ。もし今現在辛い思いをしていて、ここまで読んで納得する人がいるのであればどうか自分にも成功する可能性はあるのだと思ってほしい。どれだけ周りが低評価をしようと、自分に価値はあるのだと。ただ1つ注意してほしいのが、ここまで書いてきた成功という言葉に明確な意味がなかったことだ。何か目標を設定してそれを成し遂げたことを成功と言っていたのではない。僕自身は上手く成長して成功することができたと思っているが、別に何かしたかったことを成し遂げた訳ではない。むしろしたかったことは既に叶わなかった。おそらくまだ可能性はあるが、非常に低い。ただ、その目標に向かって努力した結果として多くのおまけがついてきた。目標を達成するよりもずっと価値のあるものだ。元々は予定していなかったことだが、そのおまけがあったから成功したと思えている。1つ目標を決めてそれを達成するために努力することは大切だが、それが叶わなかったからと落ち込まないでほしい。そこでまたこう思うかもしれない。「人生をやりなおしたい」と。だが既に伝えた通り、人生をやりなおす必要はない。そう思った時点であなたは大きく成長しているからだ。

親子間の縁切り

 卒業後は親との縁を切る方向で考えているので、しっかりと一人で生きていけるよう金の勉強もし始めたし、これから金を貯めるだけでなく様々なことを一人でできるようにならないといけない。ろくに家事もできないが、それも全てだ。料理もある程度は学んでおかないと節約や健康の敵になる。

 しかし、具体的に縁を切ると言っても何をするのか?それがわからないので軽く調べてみた。するとすぐにわかったのが「法的に親子の縁を切ることは不可能」ということだ。分籍というもので戸籍を外すことや、また結婚をすることで戸籍を別にすることは可能だが、それで相続権などが消える訳ではないらしい。他にも子供の方から申し出ることができる親権喪失や、親の方から申し出ることができる相続権を破棄させる手続きなどがある。あれ?相続権破棄できるじゃんとなったが、どうもこれを申し出てもなお消えない遺留分というものがあるらしく、それに関しては相続可能らしい。もちろん拒否することもできるが、結果としてどこまでやっても法的に親子間の縁を完全に切ることはできず、結局は気分の問題であるらしいことがわかった。つまり、僕が将来分籍した後に一人暮らしをしていようが、結婚して相手の家族になってようが構わずに、親が亡くなった場合はどこかから連絡が来るのだ。事前に拒否していない限りは。

 また扶養義務は親だけでなく、子にも発生するらしい。場合によっては扶養しなくてもいい場合はあるらしいが、やはり相続権同様自分たちが縁を切ったと思っていても、手続きなどは可能らしい。

 まぁ親もこちらを嫌っているので頼ってくることはないだろうというのが不幸中の幸いだ。何か手続きなどがいるのだろうかと今回調べたが、どうも手続きをしても縁切りっぽいことができるだけで切れないらしいというのがわかった。なら別にわざわざしなくてもいいだろう。卒業後就職と同時に引っ越しなどもするしそのうえ法的手続きもと考えたら頭が痛くなりそうだったが助かった。もちろん一般的な家庭のように親とも仲良くできればよかったしそれが理想なのだが、やはり無理だ。就職する時に身元保証人というのが必要な場合もあるらしいが、自分のような人たちの為にとそれもどうにかしてもらえる保証代行人というのがあるらしい。金はかかるが仕方ない。これから就職活動ももちろんしなくてはいけないが、早め早めに一人で暮らすどころか支援もない完全に一人で生きていくための準備をしなくては。

お金の勉強

 最近お金の勉強をすべきだと考えている。今後一人暮らしをしていくにも関わらず、税金だとかの知識がまるでない。そしてお金を上手く溜める方法なども知らない。とにかくお金の管理の仕方を知らない。このままでは普段の生活で困りはせずとも、色んな所で損をするのではないか。それが怖い。

 僕の場合、昔からお小遣いがなかった。定期的な収入と言えば毎年2、3万のお年玉くらいだった。しかし、高校生までの僕はゲームしかやりたいことがなかった。ゲームはだいたい新品で約5000円から約10000円などと高い。そのため何か欲しいゲームが出た時のためにとほとんどゲーム以外にお金を使わなかった。とにかくゲーム以外にお金のかかることをしなかった。そのためお金の使い方をろくに知らないまま育ってしまった。

 しかし今の学校に来てからは色んなことにお金を使うようになった。自分の金で外食などほとんどしたことなかったのに行きつけの飲食店ができた。カラオケなども今まで年に一度行くかどうかで行った回数が片手で足りるだろうほどだったのに、一年の間に10回近くは行った気がする。漫画や小説も買った。プログラムやIT関連の書籍なども買ったりした。ゲームだけでなく、好きなゲーム作品のグッズなども買ったりした。地元の近くにないからと今までほとんど行ったことのないゲームセンターにもちょくちょく行くようになった。これほどいろんなことが出来たのには、今までお年玉などもくれなかった親がどういう風の吹きまわしか成人祝いにと10万ほどくれたのと、入学直前の年末年始に短期バイトをしたことで今までよりもうんと自由に使えるお金があったからだ。結果としてその年の年末には持っていたお金のほとんどを使い果たした。銀行の残高が123円とかだったのを記憶している。もちろん手持ちも少ない。しかし後悔はしなかった。初めてここまで自由にお金を使えて色んなことができて非常に充実していたからだ。

 そして入学してから1年が経つ頃にバイトを始めた。そうすることで人生で初めて実際の仕事と同じ周期での定期的な収入ができた。もちろんそれも前年同様好きなことに使うようにした。

 そしてまた年末である現在に至る。お金を普通に使うようになってから二年近く経った。昨年と同じようにお金はほとんど残っていない。しかし後一年経てば卒業して引っ越しなどをして一人で暮らすようになるだろう。さすがに溜めないとと考えてお金の勉強をした方がいいと今に至る。

 ここまで長々と書いてきたが、元々お金をまともに使えずに最近になって普通に使えるようになった自分としては、お金を貯めたいならお金を使うといいことがわかった。何故かを説明する。お金を貯めるとなるとまず思い浮かぶのが貯金だ。これは正しい。そして税金だとか保険を適当にせずしっかりと知識を得て行動することで無駄を省ける。しかし、元となる収入が低いと当然溜まりづらい。月収30万と20万では全然違うのは明白だ。そこでお金を使うのだ。お金を使ってより良い給料がもらえる会社へ就けるようにする。既に就職しているなら転職をする。これは無駄金を使えと言ってるのではない。自分自身への投資をするのだ。お金をまったく使わずにより多く給料がもらえる職に就くことができるだろうか?もちろん就けるかもしれないが、少しでも使って自分を高めた方がより就職活動で有利になる。今持っている自分の技術を高めるために技術書を買うだとか、有用な情報を提供してくれる誰かと食事などをして親交を深めることで自分を高めることができる。そしてお金を貯めなきゃと貯めなきゃと様々なことを我慢してストレスを溜めこむよりかは、適度に使って好きなことをする方が精神衛生的にも良い。我慢してストレスを溜めこんで体調を悪くしてしまったりすればそこで結局お金を使うことになりかねない。お金を貯めたいならお金を使って自分に投資する。これは非常に重要だ。これをするとしないとでは大きく差が出る。

 自分への投資ができれば後は無駄を省いてお金を貯めればいい。しかし、どうやって溜めればいいのか。これに関しては僕自身まだしたことがないのでわからない。自分への投資などもしつつ溜めるということは僕もまだやったことがない。しかし、ネットで調べていると面白そうなものを見つけた。「マネーフォワード」というお金の入出記録を管理するソフトがある。無料で利用でき、PCでもスマートフォンでも利用できる。このマネーフォワード、何が良いかと言うと、クレジットカードや銀行の情報を登録しておくことで自動で何に使ったかを振り分けてくれるのである。光熱費だとかそういったものを分けて管理するのが一般的だが、それを自分でやらなくても自動でやってくれる。自分自身お金の管理ソフトなどは使ったことがないのだが、これは便利そうだ。ではクレジットカードなどが使えない場合はというと、当然手動で入力することもできる。ここでも便利なポイントがあり、何とレシートをスマホで撮影するだけで情報を取り込んでくれるという。まだ利用したことがないので本当に正確に入力が行えるのかはわからないが、非常に魅力的だ。また、お金の入出に関してのグラフを何と自動で作成してくれるため、お金の出入りが視覚化したものをすぐに見ることができる。他にも会計ソフトの類は調べてみたが、マネーフォワード以上のものは今のところ見つかっていない。これからお金の管理をしてみたいと言う方はぜひマネーフォワードの利用を検討してみてほしい。なお、クレジットカードや銀行の情報を登録するという点で心配になる人も多いかもしれないが、その点に関しては大丈夫である。登録する情報はクレジットカードや銀行の残高を参照するための物であり、万が一流出しても何にいくら支払ったかなどが流出されるだけで、不正利用などは起こらないようになっている。またセキュリティに関しても「TRUSTe」という第三者機関からのライセンス取得を行っており、しっかりと安全が保証されているようだ。マネーフォワードの紹介に関しては以上である。

 僕は今クレジットカードを持っていないのだが、これについても少し調べてみた。すると利用することでポイントが付与されるなど、当然ながら全く知らないことが出てきた。これから生きていくうえでより自分の人生を豊かに彩っていくためにも、お金の勉強をしていこう。

良いプレゼントの仕方

 昔からよく親が勘違いをしているのが気になってちょっとまとめたくなった。皆誰かにプレゼントをすることなんてのがあるかもしれないしないかもしれないが、する場合は気を付けないといけないことがある。いくらプレゼントとはいえ何でもタダでもらえれば嬉しいってもんでもない。誕生日に友人から「貴重な物で非常に高価だから」とタダとはいえ妙な壺をもらったところで果たして嬉しいだろうか?プレゼントは単純に物を買って渡すことではない。プレゼントをするうえで必ず気を付けるべきことが2つある。

 1つは、「相手は何を貰ったら喜ぶか」を考えることだ。上記にもあるように妙な壺をいきなり渡されても嬉しくないのである。もちろん丁度壺を探していれば別だろうがそんな人は滅多にいないかと思う。他人からでも直接でも何でもいいから、その人が「今欲しい」と思っているものを知ることが大切だ。

 もう1つは、「見返りを求めない」ことだ。相手にただ与えるだけの気持ちでいることだ。プレゼントの裏に何か気持ちを隠してはいけない。例えば「もっと仲良くなりたい」だとか、「自分もプレゼントを貰いたい」だとか。後々特別以前と仲が変わらなかったり、自分の誕生日に何もくれなかったりすると、「あんなに良い物をあげたのに」などと言って怒ってしまう。その人を純粋に祝ったり、喜ばせようという気持ちが全くないとは言わない。だが、そういった不純な気持ちの割合が多いと後になって文句が出るのである。100%無欲で渡すのも難しいので、できるだけそういう気持ちは持たないよう心がけたい。

 今年の誕生日にと親が何故か靴を買ってきたのだが、別段欲しいとも思ってなかったためもちろん喜べない。なのに後になって「何で喜ばないのか。普通の子は喜ぶ」と文句を言われた。昔からよくあることなのでもう今更文句を言うのもしんどいから何も言わなかったが、これも上にある2つの事柄を実行していないからだ。僕は靴を欲しがっていないにも関わらずそれを渡されて喜べよと言われても、困る。

 後、1つ目の理由と似たようなものになるが相手との関係性も考慮しないといけない。ろくに話したこともないようなクラスメイトからいきなり誕生日だからとやたら高級な腕時計などをプレゼントされたら、いくらそれが欲しがっていたもので見返りのない気持ちであったとしても、喜ぶよりかは困惑する。もっとグレードの低いものなら軽くありがとうと言えるだろう。これに関しては1つ目の気を付けることに「自分から何かを貰うとしたら」を付け加えることになる。「自分から何かを貰うとしたら相手は何を貰ったら喜ぶか」。距離感が難しい相手へのグレード選びは難しいが、多少ならぶれてても構わないだろう。そこまで相手の気持ちを考えるのは余程心理学の勉強をしている人か、本当に多くの人と関わってきた人くらいしかできないと思う。

 まとめると、誰かにプレゼントをする時は「自分から何かを貰うとしたら相手は何を貰ったら喜ぶか」を考えたうえでできるだけ「見返りを求めず」に渡すことだ。せっかく自分もお金を出して相手に喜んでもらおうとするんだったら、できるだけ良い贈り物にしたいものだ。

他人の影響を受けて始める趣味が嫌だ

 僕は人の影響を受けて趣味を持つということが好きじゃない。何故かと言うとその趣味に触れようとするとその人のことが思い浮かんでしまうからだ。別にいいじゃないかと思う人もいるかもだが、何故か僕にはそれが許せない。自分でも理由はハッキリわからない。自分が元々好きだったものを共有できる人が現れた時はむしろ歓迎するのだが、誰々がやってるからやってみようとはならない。一緒にやるタイプのものに誘われるのは構わない。むしろ誘ってほしい。自分も新しい経験がしたい。だけど個人でやる趣味に対して誰かがやってるから自分も話題を共有するためにその趣味をやろうというのは抵抗がある。自分の中に他人が入り込むような感じがするのだろうか。例えその趣味が自分にとって素晴らしかったとしても、その影響を受けた人のことが思い浮かび、自分がその趣味を本当に好きだと言えないというか。具体的に言うと、趣味なのにも関わらず影響を受けた人との関係性が趣味にも表れてしまうのである。

 誰かの影響を受けて始めた趣味があるとする。その趣味が自分にマッチしていて、実際に楽しんだとする。その後影響を受けた人と喧嘩をして仲が悪くなったとする。そしてその人とは距離を置く。すると影響を受けて始めた趣味とも距離を置くようになるのだ。これは果たして趣味と呼べるのか?

 自分でもいつからこうなったかはわからないし、実際に経験をしたからこうなったのかどうかも覚えていない。何故か趣味であるはずのものと影響を受けた当人とを混同してしまう。この混同がとても気持ち悪い。別に上記の例のように喧嘩をしようがしまいが、この混同そのものが嫌なのだ。その人との関係性は関係ない。仲が良かろうが悪かろうが、心理的に距離が近かろうが遠かろうが。こうならない人もいるのかもしれないが、僕は何故か混同してしまう。

 人の影響を受けて趣味を始めることが出来る人がいるのに、僕は何故できないのかとふと疑問に思って考えを整理するために記事にしてみた。書く前は随分とモヤモヤしていたが、書くうちに影響を受けた相手と趣味を混同してしまうという事実に気づいた。これが分かれば少しはネットで調べやすくもなるだろう。だが確実に解決方法だったり原因となる事象であったりに辿り着くとも限らないので、もし解決方法や原因を知っている人がいたら教えてほしい。