僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

貧乏は倒すべき生涯の敵

最近お金が欲しいとよく思うようになりました。

前職ではお金よりも残業時間が多いことや業務量が多いこと、非効率的な業務内容を改善する気がないことなどに不満が募っていましたが、今の会社に来てからその辺りの不満がなくなり、精神的に余裕が出てきたからだと思います。

給与は新卒相応なので、決して多くはありませんが少な過ぎという訳でもありません。ただ専門卒としては若干高い方かもしれません。家賃補助がないのが痛いですが、労働環境には満足しているのでこれから頑張って昇給を目指そうと考えています。

とはいえもっとお金が欲しいです。なので最近つみたてNISAを利用して投資を始めました。また会社でIPA応用情報技術者以上の特定の資格を取得すると報奨金がもらえるので、応用情報技術者試験の勉強も始めました。業務自体も良いパフォーマンスを保てるようにできる限り普段から睡眠時間を確保するように意識したり、昼休憩の時間には10分程度の仮眠を取って、少しでも活躍できて昇給を目指せるように努力しています。また個人でも開発を少しずつではありますが進めたり、数学や英語の基礎ができていないため勉強をやり直したりもしています。個人開発も数学と英語の勉強も、自身のスキルアップのためであると同時にお金のためでもあります。スキルアップをして活躍できれば昇給できますし、副業もOKの会社なのでその内副業もできるようになればと考えています。

何故お金が欲しいか。単純にできることを増やしたいからです。また金欠に怯えて我慢ばかりしたくないからです。僕は昔から貧乏でした。親からはよく金がないということを聞かされていました。直接的に金がないとは言わなかったですが、言葉や行動がそれを表していました。よく覚えているのが、爪を切る時にティッシュを使おうとすると新聞紙を使えと怒られたことです。一体何円の節約になるんでしょうか。専門学校に通うお金自体は出してもらったものの、それはそれまでお金を残していたからです。逆に言うとそれまでの生活が貧乏だったからできたことです。専門学校に通えたことは良かったですが、だからといってそれまでの生活が良かったことにはならないです。苦しかったです。

上にも書いた通り最近になって投資を始めました。以前から家計簿アプリを使用して月の支出を管理してお金には気を使ってきましたが、投資を始めるに当たってお金をどう運用するかなどより一層お金に気を使うようになりました。そうして思ったのが、やはり親のお金の管理はずさんで良くないものだったということです。

親は度々お金がないという話をしていました。小学生の頃からずっと聞かされていました。その中で聞いた話で、今思うと信じられないのが赤字を許容していたことです。僕が5,6歳の頃に祖父母が立て続けに亡くなったのですが、その遺産が結構な額あったらしく、それを切り崩しながら生活していたそうです。親もパートとして働いていましたが、朝から昼までの短時間のみで収入自体はそう多くはありません。何故赤字を許容するなどという恐ろしいことをしていたのか僕には分かりません。大きな病気をしたり、事故にあったり、突然の出費というものは急に訪れるからこそ困るんです。そして必ず1回だけしか訪れない訳でもありません。何度も訪れることもあります。何が起こるか分からない世の中で、今の時代生きる上で必須のお金がどんどん減っていっているのを何故許容できるのか。僕には怖くてできないです。そして赤字許容を何故子供がいるにも関わらず行っていたのか。それが余計に理解できないです。自分1人でも上に書いたように何が起こるか分からないので備えは必要ですし、その備えをどんどん切り崩していくのは怖いはずです。ましてや子供がいるとなるとその備えはより多く必要です。しかも子供が何かしたい、欲しいと言った時にそれを叶えてあげられないことがあります。他の家庭では当たり前のようにしていることでもできなくなったりします。

僕が小さい頃から貧乏生活をしていたことが原因で今も苦しまされることがあります。それは他人との価値観の違い、そして他人との環境の違いです。他人なので価値観も環境も違うのは当然です。しかし、いろんな人たちと接しているとその違いに傷つくことがあります。忘れられないことがいくつかあります。

  1. お小遣いを貰っている
  2. お年玉を10万以上貰っている
  3. 親なら普通は車の免許を取るためのお金くらい出してくれるでしょう
  4. 家族と旅行に行かないの?

僕はお小遣いを貰っていませんでした。またお年玉も毎年2,3万円ほどで10万なんて大金は貰ったことがありません。また小さい頃からずっとゲームくらいしか趣味がなかったため、その貰ったお年玉もゲームのために置いていたことがほとんどで、安くても新品で5000円もするゲームのために置いていると他のことにろくに使えません。もちろんどちらも貰ってないという人もいると思いますが、だからと言って僕から見てお小遣いを貰っていてお年玉も多く貰っている人が羨ましく見えない理由にはなりません。最近どこかで毎月5千円しかお小遣いを貰っていないと不満を言っている人がいた気がしますが、何を言っているんだと感じます(価値観や環境の違いなので仕方ないのですが)。

僕はまだ車の免許を持っていません。なのでそれを話した際に言われたことのある言葉が「親なら普通は出してくれるでしょう」です。専門学校の金を出してくれたんだろうと思うかもですが、確かに可能性はあるかもしれません。ただ僕が嫌なのは「普通」は出してくれるだろうという点です。7,8割がたは出すだろうくらいの言い方です。僕はそこまで親に期待できないです。そしてそう思える環境で育ってきたことが羨ましくあります。きっとお金のことで不自由をしなかったんだろうと。お金のことで我慢することもそんなになかったんだろうと。

誰かと話していると「過去に家族とどこどこに旅行に行った時に...」なんて話を聞くことがあります。僕は家族と旅行に行ったことは一度もありません。修学旅行以外で旅行をしたことがありません。話をしていて「家族と旅行に行かないの?」とまるで家族と旅行に行くのが当たり前の価値観として話されることがあります。僕は親とは仲が悪かったですしお金もなかったので、親と仲が良いこと、お金があることの両方がとても羨ましく感じます。

どれもそう頻繁に聞く言葉ではありません。ですがその少ない僅かの言葉でも強く頭に残り、無意識の内に反芻され、嫌な記憶として残ります。もちろん言っている人にそのような悪意はなく、その人が育ってきた中での価値観なので、責めるつもりはありません。ただただ辛いのです。

そんなことから僕は貧乏は倒すべき生涯の敵として認識しています。貧乏は生活だけでなく気持ちまで貧乏にします。やりたいと思うことがあっても我慢しないといけません。欲しいと思うものがあっても我慢しないといけません。我慢、我慢、我慢の連続です。僕は小さい頃からその我慢ばかりをして来ました。専門学校に行けただろうというそれだけのことで、他のすべての我慢がチャラになる訳ではありません。小さい頃にいろんなところに家族と旅行に行き、楽しい思い出を僕も作りたかったです。親にお金のことで頻繁に文句を言われ、自分よりもお金の方が大事だと言われるような家庭に生まれたくなかったです。だからこそ僕は貧乏を倒します。もう我慢ばかりしたくない。世の中はお金が全てではありませんが、ほとんどはお金です。

お金よりも愛情だと言う人はお金がない中で子供を満足に育てられるんでしょうか。子供1人を大人に育てるのに何千万とかかるそうですね。子供に貧乏を強要するんでしょうか。きっと子供はたくさん我慢をします。我慢をするのが美徳だと言うのであれば子供に我慢させずに自分が我慢して子供にお金をかけて、見本を見せればいいのでは?そうしたら子供も大人になって我慢をして子供を大事にします。僕は子供時代も大人時代も我慢ばかりは良くないと思いますが。また愛し合える大事な人もお金がなければ出会える確率はぐっと低くなります。お金がないので衣服もなかなか買えません。印象は悪くなりやすくなります。靴もボロボロです。靴も安物ばかり買っていては体の歪みなどにも繋がりかねません。そうすると姿勢も悪くなりやすくなります。当然食事を奢ることも難しくなりますし、プレゼントもそう高いものを買うこともできません。普段からお金が少ない中どう生きるかを考えているので、そもそも他人に気を使える余裕もそんなにありません。余裕がないのであれば恋愛をするなと言う人もいるかもしれませんが、お金がない人には人権がないのでしょうか?僕はそんな世の中は嫌です。

僕は将来子供を作るかどうかは分かりません。ただ生むのであれば自分と同じような思いはさせたくないです。お金で不自由をかけたくありません。また子供にも謝れる親でありたいと思います。

親には散々育てたお金を返せだなんだと文句を言われましたが、親との仲もお金さえ余裕があればまだマシだったはずです。この記事はその解決策を提示する訳ではありません。ただ最近お金のことで辛くて溜まらないから気持ちを吐露するために書いただけです。少子高齢化だ薄給だ年金もうダメだ2000万円貯めろと話題ですが、国はどうするんでしょうか。どうにかして欲しいですがあまり期待はできないので自己防衛ですね。

新卒入社した会社を退職しました

先月末で新卒入社した会社を退職しました。

 

去年からよく転職エントリを見かけるようになったのでその流れに乗っているところは少しあります。しかしメインの目的はいつも通り自分の思考整理です。次点で過去の自分と同じように転職しようかと考えている人の参考になればと考えています。社名は出しません。

 

目次

 

  •  転職の理由

理由はいろいろありましたが、一番の理由はもっとプログラミングがしたかったからです。会社でのことなのであまり詳細は書けませんが、プログラミングが好きでプログラマーとして就職活動をして入社したにも関わらず、実際に働いてみるとプログラミングの業務の割合が少なかったのは自分には辛かったです。またプログラミングに触れる機会があっても、整理のなされていない複雑怪奇ないわゆるスパゲッティコードを触らないとならないのはかなりのストレスでした。プログラミングはただの手段であり、動けば問題ないと考えて仕事をしている人はあれでも問題ないのかもしれません。その考えも否定はしません。しかし、プログラミングをただの手段と考えていない僕にとっては本当にストレスでした。

 

  • 僕のプログラミングに対する考え

僕はプログラミングは芸術の1つだと考えています。何故なら、人によって書き方が異なるからです。書き方が異なるということは表現方法が違うということです。あるアプリケーションの作成を10人に依頼すれば、目的は同じであるにも関わらず10人それぞれプログラムの書き方は違うはずです。短時間で作れる簡単なアプリケーションであれば、規模が小さいためその差異はあまりないかもしれません。しかし規模が大きくなると、人それぞれの癖や考え方が多々現れます。それはその人の思考であり、頭の中から出てきた物です。自身の思考をプログラムという形で表現し、他人がその意図を汲み取ることができる。これはもう十分に芸術と呼ぶことができると僕は考えます。高度に細分化され整理されたソースコードは美しさすら感じるはずです。

 

少し話が逸れました。普通の人でも読みづらいスパゲッティコードは嫌いでしょうが、上記のようにプログラミングを単なる手段ではなく芸術でもあると考えている僕には、日常的に美しくないスパゲッティコードを触ることには耐えられませんでした。正直、ただの手段と考えているにしても今後触ることになる人のことを考えて読みやすさなど意識して欲しいところですが…。次に就職する予定の会社は技術を売りにしている会社であり、この点に関しては今の会社ほど酷いことはないはずと信じて入社日を心待ちにしています。

 

ここまでに書いたものを読むと、「好きなこと(プログラミング)ができないし、できてもストレスになるから辞めた」という印象になりますし、実際にその通りです。これだけ聞くとスパっと辞めてそうに見えますが、実際に転職を考え始めて次の会社へ行く意思が固まるまでに半年くらいはかかりました。以下は転職を考え始めて意思が固まるまでの過程や、悩んだ理由に関して書きます。これを読んでいて転職を考えている人の一助になれば幸いです。

 

  • 転職を考え始めてから

まず転職を考え始めた理由は以上にも書いた通りです。入社時期は新卒なので4月。転職を考え始めたのが6月です。この頃から既にプログラミング業務の割合の少なさに嫌気がさしていました。新入社員だから触らせてもらえないのでは?と思う人もいるかもしれませんが、同じチームの上司や先輩の動きを見ていてもプログラミングの割合は少なかったです。また当然スパゲッティコードにも嫌な思いをしていました。この後も半年以上スパゲッティコードには苦しめられることになるのですが、この当時はまだ今ほどスパゲッティコードに対する想いは強くなかったように思います。また、新入社員には先輩が面倒を見るということで必ず1人担当が付いていたのですが、この6月のどこかのタイミングでその先輩に既に転職も視野に入れていると相談をしました。この後の7月と8月は、業務のタイミングとその相談が上手くかみ合ったおかげで一時スパゲッティコードから離れて、別の部分でプログラミングに集中することができました。この会社で業務的に満足していたのはこの1.5カ月ほどの間のみです。今までに触ったことのない領域に手を付けることができたので、この点に関しては触らせてもらえてありがたかったと感じています。とは言っているもののこの時点で転職活動は始めていました。転職活動そのものもそうですが、引っ越しなどもする場合は更にお金がかかるので転職自体は来年だろうと考え、この時はまだネットで軽く気になる会社の募集要項を漁る程度でした。そしてSNSで転職に関することを呟いていたところ、フォロワーの方に声をかけていただきました。それがきっかけで次の就職予定の会社に7月のタイミングで見学をさせていただき、同時に面談もしていただきました。正直面談ではやらかしたと思っていた箇所があったのですが、無事内定をいただけて本当に良かったと思います。

 

  • 会社選びは慎重に

しかし、安易な即決は自分のためにも会社のためにもよくありません。面談の結果会社側は僕が会社に合うはずと判断をしてくれました。僕自身も良さそうだと感じました。しかし僕はまだ1社しか就職経験がなく、転職活動での面談も1社しか行っていませんでした。幸い内定承諾に期限は設けないと言っていただけたので、本当にこの会社でいいのか、他の会社も見つつ慎重に検討することにしました。その後10月くらいまでは自力で良い求人がないか様々な視点から探していました。ですが、段々と自分が本当は何がしたいのか分からなくなり、迷いが生じました。

 

  • 何がしたいか分からなくなった

元々はゲーム制作がしたいと専門学校のゲーム学科に進学しました。そしてゲーム制作を楽しみつつ、プログラミングの楽しさにも気づきました。そしていつからかゲーム制作よりもプログラミングの方が好きになっていました。より綺麗で読みやすいコードを。より洗練されたゲームシステムを。拙いながらもより良いコードを書くにはどうすればいいかいつも考えていました。そしてその状態のまま就職しました。そして上記の通り、プログラミングの業務が少ない上触れたとしてもその汚さにストレスを抱えることになります。それが嫌で転職を考えましたが…。果たして自分は何がしたいのか。自分が好きでかつある程度得意なことであるプログラミングを業務で活かしたい。しかし、プログラミングは何かを作ることを目的として行うものです。自分が作りたいのはゲームなのかwebサービスなのか一体何なのか。そういった自分との葛藤に悩まされました。そしてそれに追い打ちをかけるように10月は仕事が残業だらけになりました。上記のような状態になっていたため、転職先を探すばかりで声をかけていただいた会社以外は実際に面談などは行わず、焦りが生まれました。

 

  • 転職エージェントの利用と内定済みの会社の情報収集

そこで初めて転職エージェントの利用に踏み出します。転職に関して詳しい人物に相談しながら手続きもやっていただけるというありがたいサービスです。自分で転職先を探す手間も省け、転職に関する相談も可能です。希望条件を伝え、自分に合いそうな会社をピックアップしてもらい、その中でも特に気になった会社の詳細を調べ、悩んだ挙句1社のみ応募しました。結果としては書類落ちとなりました。新卒1年目のため教育コストを割かなければならないが、その余裕がないとのことでした。この時点で11月になっていました。何故様々な会社を見たいと言っていたにも関わらず1社のみとなったのかと言いますと、声をかけていただいた会社がブログを運営しており、技術的なことから社内での取り組みまで詳細に書かれていて、その内容を読み漁ったからです。既に10年以上運営しているためさすがに全て読んだ訳ではありませんが、特に社内でどういった取り組みをしているか書いてある記事を重点的に読み、自分がこの会社に合うかどうかの判断材料にしていました。今の会社での休憩時間やどこかへ遊びに行く際の移動時間などにこのブログを読むことを繰り返すことで、だんだんとこの会社なら大丈夫そうかもしれないと安心感が生まれてきました。

 

  • 会社の良いところと悪いところ

どの会社にも当然良いところと悪いところがあります。前の会社も次の会社もそれは同じです。前の会社は良いところもありましたが、悪いところが許容できませんでした。しかし、次の会社であれば悪いところを許容しつつ、その改善に努めたり良いところの増長に貢献したりしたいと思えました。もちろん入ってみたら思っていたのと違ったというのはあり得る話です。しかし、他に面談などは行っていないとはいえ他の会社の情報をそれなりの数仕入れ、社内での取り組みなども確認して慎重に判断しました。その結果として、声をかけていただいた会社に就職することを昨年11月末に決定しました。

 

  • 自分のしたいことを思い出した

自分が何をしたいのか分からなくなっていたことに関しては、7月8月に自分が作ったプログラムを11月に入って再び触った時に思い出しました。7月8月は社内で使用するツールを作成していたのですが、11月に入ってそのツールの追加・修正を行いました。ツールは自分も使うこともありますが、他人も使うものです。他人が使ってくれているが故に機能の追加や修正の依頼が来ます。そこで思い出しました。自分はプログラミングがしたかったのだ。そして自分がプログラミングした成果物によって大勢の人に喜んでもらいたいのだ。ゲームでもwebサービスでも作る対象は何でもよく、他人が喜んでくれるものを作ることができれば何でもよかったのだ。おそらく、今のプログラミング以外の業務とスパゲッティコードに慣れてきた上、10月の長時間残業が追い打ちをかけ、自分のしたいことをだんだん忘れていっていたのだと思います。

 

  • 退職決定

そうして12月に入って上司に辞める意思を固めたことを伝え、今の仕事を進めつつ引継ぎのための資料などを作り、今に至ります。ところどころ端折っているところもありますが、大まかな流れとしては以上になります。

 

  • 転職をする際に大事だと僕が考えること

 以上のことから僕が転職を考えた際に特に大事だと感じたところを抜き出すと、以下のようになります。

 

  • 自分が好きなことをできるか
  • 普段の業務内容にストレスを感じることが少ないか
  • 良さそうなところに内定が決まっても承諾は慎重に
  • 転職エージェントを上手く活用する
  • SNS(人脈)も転職に活用できる
  • やりたいことが分からなくなった時は過去を振り返る
  • 自分の強みを持つ

 

各項目を僕なりに解説します。

  • 自分が好きなことをできるか

転職先で自分が好きなことをできるかどうかは大事です。人生の内長い時間を仕事に費やすことになります。その長い時間を好きでもないことに使うことはもったいないと考えます。しかし中には仕事にできるような好きなことがなかったり、チャレンジしたけどダメだったという人もいます。その場合は次の項目にも被りますが、できる限りストレスの少ない業務内容を選ぶべきです。

  • 普段の業務内容にストレスを感じることが少ないか

普段の業務内容でストレスを感じていると、仕事に行くことが嫌になってきます。僕の場合はそのストレスから5年間くらい変わらなかった体重が半年経たない内に7キロ増えました。ストレスによる過食です。仕事柄座りっぱなしで運動をしていなかったり、初めて実家を離れたため食生活が変わったなど他の要因も含んでいますが、ストレスも確実にあったと感じています。とはいえ全くストレスのない業務というのもなかなかないと思いますので、できる限りストレスが少なさそうな業務内容の会社に就職すべきです。あまりにもストレス過多の状態が続くと精神を病みます。様々な理由からなかなか現職を辞めれないという人もいると思いますが、精神を病む前に可能な限り早めの行動を心掛けるべきです。それが自分のためでもあります。

  • 良さそうなところに内定が決まっても承諾は慎重に

当然と言えば当然なのですが、「内定が決まった。これで転職活動は終わりだ」と安易に転職活動を終えてはダメです。可能な限りその会社の情報を集めるべきです。僕の場合のように良さそうな情報が出てくるのであれば、安心してその会社に決めることができますし、ダメな情報が出てくる場合は事前にブラック会社を回避できます。面談に行く前は徹底的に調べるかもしれませんが、内定が決まった後こそより慎重になっていいと思います。他に内定している会社が出ている場合は、内定の出ている全会社の内定承諾期限と自分の中での入りたい会社の優先度とを考慮してできる限りの情報を集めるのが良いと僕は考えます。

  • 転職エージェントを上手く活用する

僕の経験から、自分だけで自分に合う会社を探すのは極めて困難です。日本だけでも大量の会社があります。業界を絞ったとしてもなお多くの会社があります。全ての会社の求人情報が1つのサイトに纏められているならまだ条件検索からかなり絞れますが、そうではありません。様々な求人情報サイトがあり、自分だけで転職先を探す場合は自分の業界であれば一体どのサイトがいいのか調べるところから入ることになると思います(求人情報サイトなんてどこも一緒だと思う人からすれば調べないかもしれませんが)。一見問題なさそうに思えますが、上記で残業だらけになった僕の話をしたようにブラック会社であればこの行為がかなりの苦痛になります。残業だらけでなかったとしても、普段からストレスを溜め込んでいる場合、せっかく自由な時間があるなら遊びたいものです。転職のために調べなければならないのはその通りですが、自分の精神状態を上手く保ちつつ遊ぶことを我慢し、空いた時間を転職活動にのみ充てるのは非常に難しいと思います。なので自分で探すことを否定はしませんが、転職エージェントはブラック会社に勤めている人こそ活用すべきサービスだと考えます。

  • SNS(人脈)も転職に活用できる

上記でSNSで声をかけていただいたことを話しました。本当にありがたかったです。最近はTwitterでもIT業界で転職活動をするためのタグが活用されたりしています。また友人に転職先を探していることを相談するのも手です。その友人の会社に行ける場合もあれば、その友人が別の友人に人手が足りているか訊いて紹介してもらえる、なんてこともあるかもしれません。また母校に相談するのも手だと思います。学校にもよるかもしれませんが、会社との繋がりがある場合転職先を紹介してもらえるかもしれません。求人サイトや転職エージェントだけが転職のための手段ではないことを意識すると、少しは転職が楽になるかもしれません。

  • やりたいことが分からなくなった時は過去を振り返る

僕の場合はたまたま目の前に過去の自分が触れたプログラムがやってきて、触っている内に思い出しましたが、誰しもが毎回そのようになる訳ではありません。であれば、自分が過去に何をしたかったのか、ゆっくりと時間をかけて思い出すしかないのだと思います。自分の中から完全にやりたいことがなくなってしまったと認識できている場合はこの手法は使えないかもしれませんが、分からなくなった、忘れてしまったという場合は、まだ自分の中のどこかにその気持ちが眠っていたりするので、その気持ちを見つけることや再び呼び起こすことも可能かもしれないと思います。

  • 自分の強みを持つ

声をかけていただいた人の会社に行った際、僕が趣味で書いていたプログラムを見てもらいました。大したことをしていたとは思っていないのですが、それが内定に上手く作用していたのかもしれません。やはり転職に当たって自分の強みを持つことは確かな武器になると思います。僕のプログラミング能力も、学生時代に周りの人よりほんの少し得意だっただけで大したものではありません。ただ好きな気持ちは強かったため、どんどん新しいことを学んで活用して、活躍していきたいという想いは今も昔も変わりません。能力自体は大したことがないですが、そういったプログラミングに対する好奇心や学ぶ意欲があるから趣味で書いている。ということは会社に入っても学ぶ意欲が旺盛なため活躍できる、と取ってもらえたのかもしれません。能力自体は大したことがないと感じていても、意欲などが強みと取られることもあるため自分のことを今一度見直して、アピールポイントを探すのも転職においては大事なのかもしれません。

 

以上が転職において僕が大事だと感じたことのまとめです。

 

  • 最後に1つだけ

最後に1つだけ言うことがあるとすれば、現職に残るという選択肢を残しておくことです。僕はまだ1社目なので他の会社の感覚が分かりませんが、正直僕の会社は誰が見ても褒められた状況ではなかったと思います。しかし改善をしていこうという意思はあり、行動もしていたので今後良い方向に変わるかもしれません。僕の場合は様々なことを考慮して残ることを選びませんでしたが、選択肢は最後まで捨てることなく取っていました。会社が変わろうと行動をし始めたのが僕が辞める直前辺りだったのですが、もし早い段階でそれが行われていたら結果も変わっていたかもしれません。会社が変わる可能性というのも考慮して、始めから現職に残る選択肢を捨てて考えるのは少しもったいない気もします。

 

  • 終わりに

僕の転職理由、そして僕が転職を考え始め転職を決めるまでの大まかな流れと、僕が転職において大事だと考えることをまとめました。もし転職を考えている人がこれを読んでいる人の中にいましたら、こんな考えで転職した人もいるんだなと参考にしていただけたらと思います。

完全食COMPを試してみた感想

久しぶりに書く。

前回の記事が5月だったので4カ月ぶりになる。

 

今回は完全食COMPの話になる。約1月試してみたので、その感想だ。

まず完全食COMPとは何かと言うと、これだけを摂取していれば生きるための栄養もカロリーも問題ないというものだ。日々の食事を考えるのがめんどくさい。もっと手間を省きたい。かと言ってコンビニ飯ばかりでは栄養が偏る。もっと趣味に時間を費やしたい。そんな人のために作られたのがCOMPだ。

自分もこれらに当てはまっていたので、一度試してみようとなった。8月末にCOMPを頼み、9月の初めに届いた。今回はとりあえずか1月間試そうと思い、朝と晩はCOMPパウダー、昼はCOMPグミという前提で1月分購入した。

COMPには現在3種類あり、パウダー、グミ、ドリンクがある。パウダーは粉末を水に溶かしてからシェイカーで混ぜて飲む。グミはそのまま食べる。ドリンクはそのまま飲む。それぞれ値段も違い、メリットデメリットがある。パウダーは必ず水でないといけない訳ではなく、コーヒーやジュースに溶かしてもいいらしい。なので味のバリエーションが無限大と言ってもいい。ちなみに水に混ぜた際の味は少し甘い豆乳のような味だ。グミはそのまま食べるのだが、味はフルーツミックス味だ。ドリンクはそのまま飲み、パウダーと同じく豆乳味らしい。ドリンクは高くて頼んでいないので、まだ実際に飲んだことはないため味の確認はしていない。

少し話がそれたが、COMPが届いてからしばらく摂取してみた感想を書こうと思う。

 

結論から言うと、パウダーは全然いける。が、グミは正直きつい。パウダーは水に溶かして混ぜるが、そんなに手間もかからないし味も問題ない。飽きたら水以外と混ぜていいものがないか探せばいいし、探すのもまた楽しみ方の1つだと思う。グミは味はいいのだが、同じものをひたすら噛み続けるのが苦痛になった。カロリー的には1食2袋摂取するのがいいらしいのだが、1袋でも結構きつい。

 

なのでパウダーは引き続き摂取したいと思うが、グミは止めようと思う。

しかしパウダーを摂取してて問題点が1つ出てきた。お腹が緩くなるのだ。COMPの袋に注意書きとして書いてあるが、体質によっては緩くなるそうだ。対処法としては、「ゆっくり、少しずつ、温めて」飲むと改善されることがあるらしい。されることがある、なので必ずしもなくなる訳ではない。今後はお湯を混ぜてゆっくり摂取してみて調子を見ようと思う。

 

またCOMPそのものとは別の問題がある。普通に今まで食べてきたような食事が食べたくなることだ。COMPに早々に飽きたとかではなく、単純に食べたくなる。

食欲というよりかは、食べることへの楽しみの部分の欲求なんだろう。

 

翌月からは朝晩はお湯に溶かしたCOMPパウダー、昼は会社に食堂があるので社内食堂。というスタイルにしようと思う。

ちなみに1月COMPのみの前提で購入した際の金額だが、約65000円となった。朝晩はCOMPパウダー、昼はグミというメニューの場合だ。またCOMPは年齢や性別で1食に必要な量が変わるのだが、この値段は自分と同じ20代男性で運動量が少なめの場合になる。

自分に必要な1食分のCOMPの量は公式サイトで簡易的な計算ができるようになっているので、そこで実際に試すと具体的な数値が出る。

 

まだ約1月しか試してないが、食事が面倒、趣味の時間が欲しい、と思っている人は一度試してみるのも悪くないと思う。

親元を離れて

久しぶりに書く。

結論から言うと随分と精神的に楽になった。

 

自分で何でも好きにできる。制限が無い。

賃貸である以上ある程度の制限はかかるが、それを除けば家をどのようにしてもいい。

一時的に物置スペースを作ろうが模様替えをしようが文句を言われない。

周辺住民のことを考えなくてはいけない制限はあるが、それを除けばいつ風呂に入ってもいいし、いつ洗濯をしてもいいし、いつ掃除をしてもいいし、いつご飯を食べてもいい。

何を買っても、どこに行っても文句を言われることがない。

今まで制限だらけの環境だったのに、今は大違いで凄く楽だ。

しかもバイトと違って正社員の給料なのでかなりの額が入る。

生活費などと相談しながら自分の好きなものをどんどん買っていきたい。

AppleWatch、扇風機、ゲームソフトを入れるカラーボックス、スマホスタンド、PS4Pro…。

他にも多々あるし、今後も増えていくだろう。

 

基本的に欲しいと思ったものは生活費と相談してどんどん買った方がいい。

短い人生でストレスは少しでも溜めこまない方がいい。

買って生活が快適になるならそれで物と同時に健康も買っていると思う。

何なら時間だって同時に変える。

毎日の洗い物が面倒だ。食洗器を買おう。

食洗器という物。洗い物が面倒というストレスを失くして健康。洗い物を手動でしなくてよくなるので時間。

物を買う時は単に物を買うというだけでなく、同時に得られるメリットがあるはず。

それを含めて考えれば、「お金が…」と我慢するよりよっぽど買うことの方にメリットがあると気付くはずだ。

もちろん全てがそうじゃないが。

物を買うとなったらまずそれを買うことでどうなるかを考えよう。

メリットとデメリットが同時に存在するはずだ。

まず物を買う以上お金が減るデメリットが存在する。

机などを買うのであればスペースを食うデメリットが存在する。

さまざまなメリットとデメリットが存在するが、それらと相談してから結論を出そう。

 

少し話が脱線したが、今までよりも好きに物を買えるということ、好きに部屋に置いていいこと、それらが一番嬉しいのかもしれない。

今まで毎年2,3万のお年玉だけでお小遣いはなく、ゲームだけが趣味だった僕には2.3万はゲームソフトのために置いておくしかなかった。

つまりほとんど好きなものを買えなかった。

好きに物を買って自分の生活を潤すことができる素晴らしさをこの歳になってようやく知ることができた。

楽しい。

自分らしく生きるという意味が今まで分からなかったが、最近はわかる気がする。

専門学校に入ってからようやく自分がどういう人間かというのが分かり始め、最近になってだいぶ確立し始めた。

これも専門学校に入って頑張れたからだ。

バイトもして、少しずつ自分の好きな物を買ってきた。

そうすることで趣味が徐々に増えてきた。

ゲームだけだった趣味がプログラミング、ラーメン、アニメ、ドラマ、映画、本、音楽といろいろと増えてきた。

今まではゲームだけしかなかったが、その他にも語れることがいろいろと多くなったのは凄く嬉しい。

多くなったことで単純に自分自身が楽しめるし、他の人とも話題を共有しやすくなるからだ。

今まではゲームが好きでひたすらゲームのことだけは語れる自信があったが、ゲームに偏り過ぎて他の人が知らないことまで知っていて、むしろ話せないといった状態だった。

誰もそこまで知らないことの方が多かった。

だが今は徐々に趣味が増えたおかげでいろいろと話せるようになった。

ひたすらゲーム漬けだったのも楽しかったが、やはり人と関わることの方が面白い。

いろんな生き方があるとは思うが、僕はゲームやその他の趣味を嗜みつつも人と関わることを疎かにしたいとは思わない。

多くの人と関われることがより人生を彩ることに繋がると思うからだ。

だからこれからも自分の好きなことをしていく。

色んな人と関わったり、自分の趣味を増やしたり、新しいことにどんどん挑戦したり、自分の生活をより豊かで快適で楽しいものにしていく。

今までは嫌な親の元で暮らしてきて相当に辛い思いをしてきたし、周りの幸せな家庭で育ってきた人たちが凄く羨ましいが、それでも今自分は幸せだから、この幸せを継続できるように、より幸せと思えるように行動していく。

僕は人の役に立ちたいと思って生きているが、人を幸せにするためにはまず自分が幸せでないといけない。

自分にお金が一銭もないのに他人にお金を分け与えることはできない。

幸せも同じで、無理に他人に施しをしても後で返してもらえなかったりしたら嫌な想いをする。

でも自分に余裕があればそんなことを思わない。

返してもらわずとも幸せだからだ。

自分で自分を幸せにできる人こそ他人をも幸せにできる。

もちろん、意識しないと他人を幸せにすることは難しいが。

自分がただ幸せなだけでは他人を幸せにすることはできない。

幸せな上で他人を想っての行動をしなくはいけない。

だから僕はまず自分を幸せにし、他人を想っての行動をし、自分に関わる人が「僕と会えて良かった」と少しでも思えるような人になりたい。

嫌な親の元を離れて自由を得たのはそのための過程の1つだ。

これからどんどん僕は幸せになっていく。

幸せな家庭では当たり前なようなことでも僕はこれから経験していく。

周りが羨ましいし妬ましいこともあるけれどそれでもいい。

苦しい環境で育ったからこそ、同じような人に対して共感できるし、そして助けたいと思う。

これが間違ってるとは思わない。

自分がかつて誰か共感してくれる人を求めて、助けを求めていたからだ。

自分の様な人を多く救いたい。1人でも多く。

小学校の卒業式で歌うような歌が嫌いだ

久しぶりに書く。何か書こうと思ったので完全に気分だ。

 

僕は小学生の頃からタイトルにあるようにこの手の歌が嫌いだった。

理由は、世界は皆幸せになるようにできているとでも言うような、ある種宗教じみた考えのもと作られたような歌ばかりで嫌気がさしたからだ。

「辛いことがあろうと誰か助けてくれる」「きっと上手くいく」「未来には幸福な道が開けている」。だいぶ大雑把ではあるが、このような意味合いが歌詞から汲み取れる歌ばかりだ。

小学生の頃は薄っすらと嫌いだった程度だが、中学生で不登校になったりなどして以降明確に嫌いになった。今も変わらず嫌いだ。

この世は全ての人が幸せになるようになんてできてはいない。そんな現実を無視して明るい部分にしか焦点を当てていない、そんな歌が嫌いだった。

しかし最近、そんな都合のいい世界しか見ていない歌とは違って、現実をしっかり見ている歌を知った。

人それぞれどんな生き方をしてきたかは様々だが、僕はその歌に強く共感した。

歌手の名前は「倉橋ヨエコ」さんだ。

最近は活動をしていないが、歌は非常にたくさんある。

そのどれもが独特の魅力を放っていて、他にない唯一無二の世界を築いている。

リズム、世界観、歌い方、歌詞。全てが素晴らしい。この人の歌に不満を挙げようとしても何も挙がらない。

僕は普段音楽はゲーム関連のものしかほとんど聴かない。ゲーム以外だとせいぜいアニメ関連か。ゲーム、アニメ、また映画やドラマなどとは全く関係がない、純粋に歌だけを聴いて好きになったのもこの人が初めてだ。そしてここまで歌手にハマったのも初めてだ。歌というより曲、ゲームのBGMならササキトモコさんや山根ミチルさん、金子憲次さんが大好きだ。

少し話が逸れたが、伝えたいのはとにかく倉橋ヨエコさんの曲が僕は大好きで、本当に素晴らしくて心の支えにさえなり得る歌を歌っているということだ。

頑張ったら絶対報われるなんて無責任なことは言わない。全部の歌を聴いた訳ではないからもしかしたら言っているものもあるかもしれないが、少なくとも大半の歌が、辛い気持ちを吐き出すように歌った、気持ちが直接心に届くような歌、辛いし報われることもないだろうけど生きていく、そんな内容だ。

人に寄っては暗いから聴いてて合わないとなるかもしれない。ただ、辛い経験をたくさんしてきた人にとってはむしろ共感できることで、気持ちのよりどころとなるかもしれない。僕は実際そうなった。

そしてきっとそんな辛い経験をたくさんしてきた人ほど好むであろうと思われる歌が、「今日も雨」だ。

どんな曲か伝えるために内容を簡潔に書こうと思ったが止めた。

簡潔にしようとすると難し過ぎるし、詳細に書こうとすると歌詞をなぞることになる。

とにかく気になったなら一度聴いてみてほしい。

そしてできれば歌詞をしっかりと聴いてみてほしい。

この曲を聴いて他の曲も聴いてみようとなったなら、個人的には「流星」を勧めたい。暗い歌ながら独特のリズムにハマることになるだろう。「卵とじ」もいいかもしれない。卵とじは明るくて聴いていて楽しい。

 

以上でだいたい書きたいことは書いた。

何でこんなことを書きたくなったか。

多分昨日、倉橋ヨエコさんの復帰疑惑を知ったからだろう。

2017年の春にある動画がyoutubeに上がった。

その動画に、検索してもその動画くらいしか情報が出てこない、歌手名と歌が出てきた。

その歌の歌声、リズム、世界観。明らかに倉橋ヨエコさんだった。

同じように倉橋ヨエコさんが大好きな人がブログをやっていて、そのブログで取り上げられていたのをたまたま見つけた。

どうやって辿り着いたかは忘れたが、試しに今「倉橋ヨエコ ブログ」なんて検索すると出てきた。ブログにアクセスするとトップの記事に復帰疑惑の記事がある。

その問題の動画の歌もまた素晴らしく、何度も何度も聴いてしまう。

歌を購入してフルで聴きたい。

その為には少々手間がかかる。

日本の支払い方法ではなく海外の支払い方法になってくるからだ。

だがその手間をかけてでもフルで聴きたい。

そんな魅力的な倉橋ヨエコさんの歌をぜひ聴いてほしい。

C++はいいぞ

専門学校に入学してからプログラムを始めた。

 

Cからプログラムに入門して、ゲームプログラマとして歩み始めた訳だが、触り始めは当然「ポインタ?関数?何それ?」だった。しかしその1年後にはそれなりにゲームを作れるくらいには成長していた。

 

そして2年生になり、C++に触れる。当然始めはオブジェクト指向の考え方が分からず、何をクラス化すればいいのか見当もつかなかった。それが1年後にはDirectX9APIと組み合わせて3Dのゲーム作品を1人で作れるくらいに成長していた。

 

そして今、プログラミングをし始めて2年半と2ヵ月、C++を触り始めて1年半と3ヵ月になる。入学前の自分からは考えられないほどプログラミングに詳しくなった。もちろんプログラミングは奥が深く、特にC++は黒魔術などと言われたりもするくらいの代物だ。まだまだ初級者であるのは重々承知しているが、それでも同じタイミングでプログラミングを始めた周囲の人間の大半よりかはC++に関する知識、プログラミングの考え方は備えているつもりだ。ここが自分の武器になっているはずだから自信を持って言いたい。

しかも最近感じるのが、成長速度が上がっている点だ。2年の就活や3年になってからの一人暮らしのためのバイト2つかけもち、制作、学校や内定先の課題など、忙しい中でどうやりくりするかを考えて実行してきた結果としてタスク処理能力が以前より上がったのは間違いない。そうすることでプログラミングについて何か疑問に思った時も、調べて試して身に着けるスピードが上がっていると感じる。3年の始めよりも今の方が圧倒的にいいプログラムを組める自身がある。どういうふうにプログラムを組むべきか、オブジェクト指向コンポーネント指向、template meta programming(TMP)、いろいろなパラダイムに触れて実践を試みている。

またC++、というよりかはVisualStudioを主に使用しているため、VC++に関しての知識も調べて試している。就活では授業で習っていないことを学んでいるのをアピールに使ったりしていたが、今ではそれが当たり前になっている。疑問に思ったらすぐに調べるくせが付いた。pcでもスマホでも気になれば即座に調べ、そこから気になるリンクがあればそれも踏んで先へ先へ。おかげでpcのchromeはonetabのスタックが大量にあり、スマホchromeのtabが50くらいはある。スマホでもonetabを使いたい。

 

最近は趣味でプログラムを組むようになってきた。こんなクラスはどうだろうと試してみたり、上手くいかなければ同じように考える人もいるだろうとコードの一部をコピペしてそのまま検索をかけたり、実際でてきてこんな考え方もあるのかと参考にしたり、先生や同じくプログラムが好きな友人とプログラムの処理内容や組み方について話すのも好きだ。

少し前に、自作クラスは使用せずC++stlさえincludeすれば使用可能な完全疎結合なクラスができた時は本当に気持ちが良かった。インターフェイスもこれは綺麗だというものができ、実際使ってみて非常に便利だと感じた。作って1月ほど経つが、今でもこのクラスが現時点で自分史上最高のクラスだと思う。チーム制作で作ったクラスなのだが、思わずメンバーに使ってほしいとこぼすほどだった。

また今日はC++でのリフレクションを実装した。これは趣味だ。以前自分で組んでみたが上手くいかず、制作に関して先生に相談しに行ったついでに見てもらったところ解決した。やはりtemplateはエラーがわかりづらい。エラー箇所ばかりに目をやってしまって、本来のエラーを起こしている箇所から目をそらされる。Conceptを、早く。C++17では叶わなかったそうなので最短でもC++20、3年後になる訳だが。

ここ数日でTMPの楽しさに気づいてしまったのでもうC++の沼に足を突っ込んでしまった。templateの特殊化、traitsやsfinae辺りの情報を見た時点でヤバそうと思ったが、traitsを理解して身に着けた段階でもう沼に入っていたのかもしれない。traitsは簡単なのでtemplate沼の入門に向いてる気がする。プログラム好きな友人にtemplate楽しいと伝えるとそのまま「constexpr沼にハマるといいと思います」とのこと。Sproutを作った人の気持ちが少し理解できた気がする。

 

このままだと延々楽しいと語ってしまいそうなのでそろそろ終わりにする。

C++はいいぞ。プログラミングは良いぞ。

初めて自分を素直に出せる人を見つけた

  最近、もっとわがままになって自分を素直に出そう。今まで自分を甘やかしてくれる人がいなかったのだから、せめて自分で自分を甘やかそう。でも睡眠に関しては自分に厳しくしてしっかりと取ろう。普段のパフォーマンスに関わるから。と、自分への接し方を見つめ直したりしている。そうしている内に気になったのが、自分の周りへの態度だ。基本的に同性には自分を素直に出せていると思うのだが、異性には何故かできない。逆に悩みを相談したりなどは同性にはできず、異性にはできる。これが自分でもよく分からない。普段よく接する分には同性のが楽だ。だが相談だとか深い関係になるのは異性のがいい。やはりよく分からない。普段自分を素直に出せない人に対して何故相談できるのだろう。何故普段自分を出せている人に対して相談できないのだろう。もっとわがままになって自分を素直に出そう、と言ったもののこれでは同性にも異性にも自分を出せないのと同じなのではと考えた。

 じゃあ解決策が出たのかと言うと出てない。これを書いていてそれっぽい答えが出るかもしれないが、出るとは言ってない。しかし最近1つ気になることができた。遊んでいて特に居心地の悪さを感じない人がいたからだ。むしろ良かったとさえ思う。

 今まで好きになった人たちに対して「一緒にいて居心地が良い」というのを感じたことがなかった。居心地が悪ければそもそも好きにならない。だから悪くはなかったのだろうが、良いとも感じたことがなかった。居心地の良さは人を好きになるための十分条件であって必要条件ではないらしい。だがほんの少しだけ居心地の悪さを感じていたような気もする。これは僕が好きな人に対して依存する体質があるからだろうが、相手に嫌われることを恐れていたからかもしれない。居心地がそんなに悪くもなく、他にもいろいろな条件が重なって好きになったが、好きになったことがきっかけで嫌われるのを恐れてほんの少し居心地が悪くなる。発言に気を使わないといけないという気持ちが出てきて言葉を選ぶなどする。だから結果的に居心地の良さにマイナスの補正がかかる。

 以上のことを踏まえると、好きな人にだけ自分が出せなくなるのであって、そうでない異性には出せるのでは?という話になる。それがそうではない。では接する異性の全員が好きなのかと言う話になるが、それも違う。が、正解に近い答えにはなっている。接する異性の全員に、この人は僕を愛してくれるだろうかと期待を寄せているからだ。

 僕は親に愛されてきたという実感がない。そのため常に誰かに愛されたいという愛情飢餓な状態だ。最近は気持ちが落ち着いているが、たまに誰かに愛されたくて仕方が無くなることがある。要は寂しくて仕方がないんだろう。親に愛された実感がない人にはわかるかもしれないが、愛されないということは認めてもらえないということだ。子供にとって親は人生でたった2人しかいないかけがえのない人間だ。ましてや小さい頃は基本的にその2人の世話になる。20歳ごろになるとたいていの人は親元を出て働いたりしていく訳だが、人間100歳まで生きるとして、人生の5分の1を親と過ごすのだ。このいかにも子供の人生にとって重要極まりない親に愛されていない、認められていないというのは、子供の人生に重大な欠陥を及ぼす可能性が大きい。その結果が今の僕だ。親という重大な人間に愛されず、認められず、その結果自分でも自分を愛せず、認められない。このことに気づいて変えようと努力はしている。だが、物心がついてから今までずっと蓄えられてきた愛されていない、認められていない悲しさはちょっとやそっとではどうにもならない。そのため今でも自分を愛してくれる人が誰もいない、誰にも認めてもらえないと、寂しくて仕方が無くなる時がある。だから、僕は常に自分を愛してくれる人を探している。愛情に飢えている。だから、接する異性の全員が好きなのではなく、接する異性の全員に、愛されるチャンスがあるかを見ているんだと思う。この人は自分を愛してくれるだろうか。そんな風に見ているのかもしれない。

 じゃあ遊んでいて居心地の悪さを感じなかった、むしろ良いと感じた人は何なのか。これが分からない。単に自分が、自分を愛し認めることができるようになり、他人に愛されなくともある程度どうにかできるようになったのかもしれない。それとも、今まで会って来た異性がたまたま全員相性が悪かったのかもしれない。その人のことが好きかというと分からない。居心地の良さを感じたという点では気になってる。

 今回のことを短くまとめると、「初めて自分を素直に出せる人を見つけた」ということだ。異性には普段から自分を出せない居心地の悪さを感じていたが、それがない人がいた。であれば、その人と相談できるくらいの仲になれば、自分を完全に素直に出せるということになる。なれるかどうかはまた別の話として、そういう人がいたというのが大きい。別にこの広い世の中、自分を素直に出せる人がその人ただ1人とも限らないだろう。1人もいないとなると辛いかもだが、1人いれば他にもいるだろうと思える。何だかゴキブリ扱いみたいだがそういうことだ。

 毎回気持ちを整理したい時にここにこういったことを書いているが、今回もそうだ。だから特に落ちもなく終わる。思ったことを書きなぐって、文章を整理して、読み直すことで気持ちを整理することができる。今自分は何を考えているのか段々と、モヤモヤしたものが鮮明になっていく。特に他人に見られることは考えていない。更新の度にTwitterで流してはいるが、まぁ共感してくれる人がいて、その人の感情の整理にでも役立てばいいなぁという程度だ。だからそんなに他人に見られることは考えておらず、色を付けたりなどして読みやすくするということはしてない。大して文章が上手だとも思わないが、そこまで下手だとも思わないので、共感してくれる人や物好きはこれでも読むんじゃないだろうか。何となく最後にこんなことを書いて、終わる。