僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

僕の育った環境、そこから得た考え方

※暗めで愚痴に近い内容なので嫌な人は注意。

 

 人は変わることができるとか言うけれど、結局変われるかどうかも環境で決まると思う。

僕の場合環境は酷かったが、たった一人よくしてくれた人がいたからどうにか今生きて変わりつづけることができてる。

その人がいなかったらどうなってるかわからない。

もしかしたら生きてないかもしれない。

それくらいには精神的に追い詰められる環境で育ってきた。

どんな環境だと聞かれて答えても、多分人によってはそんなに酷くないと言う人もいるかもしれない。

少なくとも衣食住が満たされて学校も行けて遊ぶものもあって。

でもそれが幸せとは限らない。

中学の時不登校になったタイミングから散々酷い目にあったが、上記の項目は全て満たされてた。

衣食住には困らなかったし、学校も精神的に病んで行けなかったが行くお金に困ってたわけじゃない。毎日のようにゲームもしてた。

でも全然幸せじゃなかったし、死にたかった。

ゲームも楽しむためというよりは酷過ぎる現実を見たくなかったから現実逃避としてやってた面が強い。

酷い時は朝から晩まで一日中してた時もあった。

当時は風呂に入るのもめんどくさくて数日入らないのも珍しくなかった。

風呂は言えば単純作業だ。

髪や体を洗いながら考え事ができる。

それが嫌だった。

少しでも辛い現実を見ていたくなかった。

だから寝る前も嫌いだった。

でも体に限界がくるから寝ざるを得なかった。

寝る前は毎度のように泣いてた覚えがある。

朝8時頃に起きて、居間のテーブルの上にあるごはんを片手間に食べながらゲームをし、昼も夜も同じようにする。

そして風呂に入る時は入り、入らない時はそのままゲームを継続。

深夜2時か3時にはゲームを止めて就寝する。

これが当時のライフサイクルだった。

ゲームがどうこうではなく、単純に酷い生活なのは多分子供ながらにわかってたと思う。

でもどうしようもなかった。

学校も親も、身近にいる人は誰も助けてくれなかった。

それどころか親にいたってはむしろ傷つけてきた。

何度も何度も精神的に攻撃をされた。

学校に行かなくなって外にも一切出なくなって、そんな状態の人間にどうしてああも酷いことが言えるのだろうか。

今でも信じられない。

暴力はほぼされなかったが、それが余計にたちが悪かった。

精神的な虐待は目に見えない。

数少ない親戚にも僕がただ一方的に悪いように伝わってるようだった。

味方が誰もいなかった。

独りだった。

本当に死にたかった。

誰にも認められなかった。

「産まなきゃよかった」と何度も言われた。

ネットで自傷行為をする人なんてのをたまに見聞きするが、僕は少し気持ちがわかる。

僕の場合唯一よくしてくれた人がいたから死にたくはなかった。

死にたいくらい辛かったが、唯一の希望だった。

だから死ぬかもしれないような真似はしなかった。

どうしたかと言うと、腕を噛むのだ。

もちろん傷がいかないように、だけど強く、歯形がしばらく残るように。

じわじわと皮膚が歯に押されていくのが心地よかった。

何がいいかって、暖かいからだ。

ものすごく辛い時に独りで誰も抱きしめてくれなきゃ、むしろそういう立場にいるであろう親までも敵になったら、一人で暖かさを得るしかなかった。

高校の話が出た時、定時制とはいえ受験勉強はしないといけないということで親が家庭教師を付けた。

今までずっと金がない金がないと言ってたのに高い金を払ったらしい。

今も専門学校に行く金には困らないらしい。

小さい頃から何度も聞かされて何か買ってもらう時は高いものを我慢してたのに、今でも嘘をつかれていた気分だ。

どこの大学が良いとかは詳しくないから知らないが、いいとこの人をつけてくれと安直に頼んだらしい。

一度決まりかけたがあそこの学校じゃダメだからどこどこにしてくれとか。

結果来た人は全然良くなかった。

不登校という時点である程度察せるだろうに、またもや親同様酷い状態の人間に罵声を浴びせるような人だった。

あの勉強量が普通の人からしたらどうなのかは知らないが、少なくともあの状態の僕にはきつかった。

それができなきゃ「殴っていいか?」と脅された。

結局殴られることはなかったが本当に酷かった。

怖かった。

小さい頃も祖父に怪我をさせられた記憶がある。

小学校の頃や中学校の頃も、ニュースものレベルの酷いものではないにしてもいじめもあった。

そのせいか未だに男というものが苦手だ。

自分の心情を話そうとは思えない。

話が戻るが、酷い状態の人間に酷い罵声を浴びせたり、親の文句を言っている人間を悪く言ったりする人はこういう人間のことがわからないんだろう。

自分が良い環境で育ってきたから、ニュースレベルの酷い環境じゃなきゃ子供は普通に育つと思ってるんだろうか。

どういう頭をしているのか不思議に思う。

犯罪者か否かでしか人の善し悪しを判断できないのだろうか。

0か1か、白か黒か。

そんなにはっきりしてる訳がないのに。

むしろ、はっきりしてたら誰か助けてくれて楽なのに。

 

 世の中で犯罪者と呼ばれる人たちとか、社会に馴染めず問題と言われるニートだとか、ああいった人たちが本当に悪いとは思わない。

ネットでちらと調べてみると、犯罪史上に名を残すレベルの人は親が酷い人も少なくない。

そういった人たちを全て調べた訳ではないが、全てそうなんじゃないだろうか。

本当に幸せで順風満帆で、何も人生に不満がない。

そんな人が犯罪を起こせば確かに悪いだろう。

でもそんな人が果たしているだろうか。

何かしら皆不満を抱えながら生きているものだが、その中でも特に酷い環境で生まれ育った人間が犯罪を犯すようになるんじゃないだろうか。

根っからの悪なんているとは思わない。

ニートもそうだ。

自分だって不登校を経験して実感している。

周りが誰も助けてくれないからそんな社会に出たくなくなる。

生きる気力がなくなる。

そうすると気持ちがわからない人は甘えとか言うんだろう。

僕も同じようにそう言う人の気持ちがわからない。

甘えて何が悪いのだろう。

幸せに育った人は少なくとも子供時代に親に十分甘えてるはずだ。

いい年をして?

それは子供時代に親に甘えられなかったからだ。

自分は良い思いをしておいて、他人ができなかったからそれを後になって取り戻そうとしているのを見て「いい年をして甘えている」などと言うのは本当に嫌いだ。

甘いケーキも食べ過ぎれば飽きる。

もういっぱいだとなる。

子供時代にたくさん甘える。

それは子供が大人になって親離れするために必要なステップの一つだ。

そのステップを踏み外しているのだから、大人と呼ばれる年になっても子供のようなのは仕方のないことなんだ。

本人の問題ではない。

環境の問題だ。

だが、そういったふうに子供を甘えさせることのできない親、犯罪者となる子供を育ててしまった親もまた、同じような親に育てられたのだろう。

だから子供に上手く接してあげることができない。

僕は直接親からの被害を被っているためやはり親のことは嫌いだし、加害者と思ってしまうが、親もまた上手く育ててもらえなかった被害者なんだろう。

話を聞くと耳を疑うようなこともされているらしい。

本人がそれでも親を悪く思っていないらしいことも驚きだが、だからこそ子供である僕にも酷いことができるのだろう。

そう考えると、この世の中に加害者なんて存在しないのかもしれない。

世の中全て被害者か被害を被っていない人だけなのかもしれない。

だから僕は悪いことをしている人を見ても加害者だとは思わない。

自分が被害を被った時はそうは言ってられなくなるのかもしれないが、できるだけ広い心で接したいと思う。

自分も、その人も、世の中皆誰だって幸せになりたがってる。

悪いことをしたとしてもそれは本人の問題ではない。

環境の問題だ。

幸せになりたいのになれないから、誰も認めてくれないから辛くなって、例え悪いことでもいいから誰かに認識してもらいたくて悪いことをする。

親に構ってもらいたくて悪さをする子供みたいだろうか。

きっとそうだ。

だけど当たり前だ。

何でかは知らないが、人間はそうできてる。

僕も誰かに認めてもらいたい。

それは例えシンプルなことでもいい。

僕の場合、名前を呼ばれることが著しく少ない。

今まで生きてきて親や親戚以外に名前を呼ばれた人の数が片手で足りるレベルだ。

その親も一人だし、親戚も数が少ない。

だから、僕は名前を呼ばれるだけでもすごく嬉しい。

呼ばれないのなら名前なんていらないんだから。

苗字ではなく、名前だ。

名前は住所の続きみたいなものだ。

○○県○○市の○○さんと言われても、そう珍しい苗字でもなければ被ることがほとんどだ。

例え○○町○○丁目○○番○○の○○さんまで行ったとしても、当然ながら家族と被る。

苗字で呼ばれることは、○○町の○○さんといった具合に、アバウトな呼び方でしかない。

個人としてその人を呼んでいるとは言い難いのだ。

だから僕は名前を呼ぶことで初めてその人を個人として見ているのだと言えると思う。

漫画でも映画でも何でもいいが、死にかけの登場人物が信頼している人の名前を呼んで何かを托したりする大切なシーンで相手の苗字を呼んでいたら何だか違うような気がしないだろうか。

少なくとも僕は名前を呼んでいる方がより一層厚い信頼を置いているように感じる。

その人を一人の人間として見ているからだ。

今親を除けば僕の身近にいる人で名前を呼んでくれるのはたった一人だ。

少し遠くにはいるが、すぐに会える人は一人だ。

親は名前を呼んではいるが、嫌いな親に呼ばれても嬉しいとは思わない。

だから、身近にいて僕の名前を呼んでくれる彼女が好きだ。

なかなか呼んでくれなかったから呼んでくれと頼んで、呼ばせたようなものだが、それでも以降呼んでくれるようになった。

別に毎日呼んでくれるわけではないし、回数を覚えてるわけでもないが、時々呼ばれると今でも呼んでくれたと嬉しくなる。

僕自身はと言うと、周りの人のことは周りがそう呼んでるからと言って同じ呼び方をしている。

でも、その内恥ずかしがらずにちゃんと個人としてその人のことを見れるよう名前で呼ぶことを心がけようと思う。

それだけで嬉しいと感じる人がいるのは確かだ。

そして僕が名前を呼ぶことで少しでも心地よさを感じてもらえるのであれば嬉しい。

もしかしたらそうして僕のことを信頼してくれた人が、悩みを相談してくれるかもしれない。

そして死にたくなるほど辛い思いをしている人の唯一の希望になれるかもしれない。

僕がかつて助けてもらったように、僕も誰か辛い思いをしている人がいるなら助けたい。

今の彼女に対しても、気持ちを伝える決心が付いたのは辛そうにしてる彼女を見て支えたいと思ったからだ。

名前に関しては呼んで欲しいと甘えてしまったが、例えそれ以外何の見返りがなかったとしても僕は彼女を支えよう。

拒絶されない限りは側にいて、いつでも支えられるようにもっと逞しくなろう。

一人でも生きるのに困らないように。

自分に余裕がなければ人を助けることはできない。

今からでも立派な人間になってみせる。