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//何で勉強できるようになったのか
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中学時代から比べて良い方向に成長してきてるのは何度も書いてるが、勉強に関しては何でできるようになったのかよくわからない。
小学校でも特に成績が良かった訳でもないし、中学でまだ学校に行ってた時もどちらかというと勉強はできなかった。
高校ではそこそこだったが、そもそも僕のような中学不登校とかそういった人が多い場所だったので全体で見たら結局勉強はできない。
なのにこの学校に来てからは成績が優秀な方になり、ゲームを作る学科なのだがそこで上位に選ばれたりもするようになった。
勉強に関しては特別上位に入ってやろうとか頑張って良い物をとか張り切っていたわけではない。
僕にとってはこの学校に来てからの期間はリハビリ期間だ。
中学で大きく傷つき、高校で休んで傷を癒し、今の学校で徐々に復帰するための行動を起こすと言った具合だ。
だからそんなに張り切るのはむしろ僕にとっては無茶なことだったし、今でも自分のペースで頑張るのが大事だというスタンスは貫いている。
なら何故勉強できるようになったのだろう?
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//成長に必要な要素
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少し考えて二つ、これが理由かなと思うものが出てきた。
一つ目は興味があることだったから。
二つ目は単純に成長したから。
今までは自分の学んでる事に特別興味がなかったし、何か周りがやってるから自分もやっとこうくらいにしか思ってなかった。
それが初めて自分でこの学校に行ってこのようなことを学びたいと思って今ここにいる。
その差は大きい。
やはり興味が持てたものに対しては人は積極的に知ろうとするんだろう。
プログラムだけじゃなくIT関連のことはたいてい興味があって面白そうだと思っていたのが良かったのか、今のとこ資格試験は全て一発合格をすることもできている。
ギリギリの点数だったりもするが。
人は、何かしら考えて生きている限りは成長する。
ほとんどの職種は考えて仕事をしなければいけないが、今学んでいることは特に物事を考えて頭を鍛えるのにはいいと思う。
それを繰り返すうちに自然と成長をしていたのだろうと思う。
プログラムとかではないが、考えるだけなら中学、高校でも相当考えていた。
中学時代は学校に行くことも外に出ることもなかったのでゲームばかりしていたが、それでもゲームに常に集中している訳ではなく、隙間隙間で物を考えることもあった。
何でこんな辛い目に合わないといけないんだろうとか、親と仲良くできている人が羨ましいとか、ひたすら悩みに悩んだ。解決はしなかったが。
中学の時は快適なネット環境もなかったので積極的に調べることもなかったが、タブレットを手に入れ快適にネットを見ることができるようになった高校三年からは、そういったことを調べるようにもなっていった。
このように悩んだり、調べたり、考えたりすることで人は成長すると思う。
これを繰り返せば何かに行き詰ったらすぐに調べようだとか、人に訊こうだとか、そういう癖もつく。
何か悩みまくって解決しそうにないことがあれば、状況によっては気にしなくてよいことだからその悩みを捨てるだとか、単純に悩みを解決するのではなく、悩みを捨てるのも一つの手だということを知ることもできる。
何度も悩んで調べて考えてを繰り返すことで経験が積まれていくのだ。
それが成長に繋がる。
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//経験の差
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多分、小さい頃から勉強できて人間もできてるなんて人は、その時点で経験量が凄くあるんだろう。
逆に僕みたいに勉強も人間もできてないような人間は変わろうと思ったら必死に経験を積むしかない。
だから、この学校に来てから色んな人と接するようにしたり、学んでいることに興味を持てた僕は大きく変わることができた。
もし僕が経験を積めてなかったら、上位に入ることもできず、発表でも酷評されるようなものを出していただろう。
結局経験の差だと思う。
経験をしていないこと自体に全く罪はない。
僕自身がそうだったが、生まれ育った環境によってはほとんどのものに興味を持たないような人間も育ってしまう。
興味を持たないが故に挑戦をせず、成功も失敗も学ばないままダラダラと生きてしまう。
僕はゲームがあったから良かったが、もしこのような学校がなければ人生は積んでいただろう。
こうも変わることもなかった。
もしくは、「作る」ことに興味がもてずにいるという可能性も十分あり得た。
僕がこの学校に来る前と同じ状態なら間違いなくそうだからだ。
だから、僕は勉強ができなかろうが能力がなかろうが本人に罪はないと考える。
前にも書いたがそれは環境が作り上げた性格だ。
色んなことに興味が持てない故、挑戦し、成功・失敗を学べないのは本人のせいではない。
普通は挑戦を繰り返して色んなことを学んでいき、その過程で自分というものができあがっていくんだろう。
それを自然とできる環境下で育ったならいいが、そうでない人も多くいる。
僕は偶然が重なってどうにか良い方向に変われた。
でも、辛かった時のことを忘れることは多分一生ない。
いつからか、僕は自分にこう言い聞かせるようになった。
「今までの自分を作り上げたのは環境だ。
だから、自分が悪いと責めることは一切しなくていい。
周りが何と言おうと悪くない。
ただ、成長しようと思ったら、反省と挑戦はしないといけない。
反省して何がいけなかったのか悩んで、調べて、訊いて、そして得た情報や経験で次こそと挑戦する。
これを繰り返しているうちにいつかうんと成長している。」
一つ注意したいのが、今までの自分を作り上げたのも確かに環境だが、これからの自分を作り上げるのも環境だ。
自分がやるべきことはその環境選びだ。
僕の場合やったことが学校選びだった。
多分、親が探したと言っていた短大では僕はこのように良い方向に変わることもなかった。
特に興味をそそられるものがなかったからだ。
親はお前のためだと言って何かとすることがあるが、そういった親に限って本当に考えてなどいない。
そう言う親が全員とは言わないが、少なくとも自分の親がそうだという経験則に基づいての意見だ。
これからは自分で物を選んでいくようにすることが変わるための第一歩だ。
自分で選んでダメだったと、失敗したならそれでもいい。
それは挑戦した証拠だ。
それを繰り返すんだ。
最後に。
今までの自分を作り上げた環境のことを恨むだろう。
僕も親が嫌いだ。
その親をまともに育てなかった親の親も嫌いだ。
養育費とやらを払わずにどこぞへ行った方の親も嫌いだ。
辛い思いをしていた時、何も助けずに親の味方だけしてた親戚も嫌いだ。
恨むのは当然だ。
だから好きなだけ恨んでいい。
そのうち恨み疲れてどうでもよくなる。
さっき書いたのも昔は嫌いだったが今はどうでもいい人も多い。
でも、今は学校という環境を自分で選んで変わることができた。
今では嫌いな人より好きな人の方が多い。
愚痴よりも感謝の方が多く語れる気がする。
こんな自分を作り上げたのも環境だ。
変われたのなら是非環境に、周りの人たちに感謝しよう。
もちろん強制なんかではないが、調子にのって一人で変われたなんて思ってはいけない。
変われたきっかけをくれた人でも、変わってから出会って良くしてくれた人でも、勉強を教えてくれた友人でも、いろんなことに興味を持たせてくれた友人でも、分かりやすい授業をしてくれる先生でも、大きなことから小さいことまで自分に良い影響を与えてくれてる人はたくさんいるはずだ。
それに気づけばもっと成長できるはずだ。
そうしたら今度は自分が誰かを助ける番になろう。
自分が成長して誰かの成長の手助けをする。
僕はそういう生き方が素晴らしいと思うし、そうして生きていきたい。