僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

奨学金って何で給付型じゃないの?

日本の奨学金が何故貸与型なのかが気になる。

以前からずっと気になってるのだが、何故給付型ではなく貸与型なんだろう。

奨学金はこの国に住む学生が家庭の事情などで大学や専門学校などへの授業料が払えないから、貸してもらうお金だ。

そして働けるようになってから、こつこつと返していくものだ。

しかし、何故貸すのだろう?

何故それを返さないといけないのだろう?

今までにお金を貸してもらってそのお金で学校に行き、そして働けるようになってからお金を返してきた人たちがいる。

だから、そのループを崩さないためなのはわかる。

しかし、中には奨学金を返せない人たちがいる。

その人たちのことを自業自得だと言うのは簡単だし、事実お金を借りるタイミングで安易に借りてしまっている人もいるだろう。

では返せる人と返せない人の違いは何か。

それは、判断能力の有無だ。

その年ならお金の重要さが分かるだろうとか、もっと勉強して安い国立に行けばいいのにとか、思う人もいるかもしれない。

しかし、考えてみてほしい。

幼稚園児くらいの子供に、「うちの家庭はお金がないから…」とか言って意味が分かるだろうか。

これは極端な例だが、その年ならと言っても人によって成長速度が違う。

更に言えば家庭、環境によって違う。

自分がその年でそうだったから皆そうだろうというのは安易な考えでしかない。

判断能力がないのは本人の責任ではない。

子供は育つ環境を選べない。

判断能力とか、そういった人間が生きる上での重要な能力というのはたいてい環境で学べるか否かが決まってしまう。

途中から環境が変化して少しづつでも身に着けていくことができている人もいるが、そうでない人も多い。

ないなら身に付ければいい、重要なのに身に着けていないのは本人の責任。

果たして本当にそうだろうか。

 

この奨学金が返せない人の問題、何が厄介かと言うと、お金のない家庭というところだ。

全ての家庭がそうでないことを前置きしておくが、お金のない家庭というのは何かしら問題を抱えていることが多い。

ドラマだとか漫画だとかでもよくある気がするが、お酒やギャンブルにハマった親の間に生まれた子供などがそうだ。

こういった環境で育った子供に、他の家庭の子供同様しっかりと生きていける能力が備わっているだろうか。

もちろんしっかりと生きているように見える人もいるかもしれないが、酒乱の親のことがトラウマで少し怒られただけで過去の映像がフラッシュバックするだとか、そういったものを抱えてたりもする。

トラウマや問題を全て振り切って強く生きれてる人もいるかもしれないが、やはり数が少ないのは断言していいと思う。

ギャンブル狂はわかりやすい例だが、一見普通に見えて問題を抱えている家庭もいくらでもある。

お金がない上に子供がいるとそれだけ生きるのに必死になるのはわかるが、お金の工面だとか仕事に追われ過ぎて子供の衣食住だけ満たして、子供の心には一切見向きもしないなどがそうだ。

そうして親に興味を持たれなかった子供が問題を抱えて育っていくと、奨学金を返せない、判断能力のない子供となる。

もしくは、返そうと必死になって勉強もバイトも一生懸命にやる。

そして頑張り過ぎて潰れてしまうなどというパターンもある。

本当に本人の責任だろうか?

お金がない、そしてそれ故子供に負担をかけてしまうのは親の責任だ。

だが、そもそも奨学金が貸与型ではなく、給付型。

つまり返さなくていいものなら、返せないと言う人は0になるし、返すために必死になって潰れてしまう人もいなくなる。

これが、僕が奨学金が何故給付型でないのかと思う理由だ。

 

会社で働くために学校で学んで、会社で働いて国を動かす。

学校で学ぶのは個人のためでもあるが、多のため、国のためでもある。

何故子供たちが学ぶお金を国が出さないのかが疑問だ。

しっかりと納得のできる理由があるのならいいのだが、僕は今までそれを見聞きしたことがない。

もし、この辺りの事情に詳しい人がいるのなら教えていただきたい。