僕の観察日記

僕が感じたことを書いていき、自分のことを観察、記録するブログ

貧乏は倒すべき生涯の敵

最近お金が欲しいとよく思うようになりました。

前職ではお金よりも残業時間が多いことや業務量が多いこと、非効率的な業務内容を改善する気がないことなどに不満が募っていましたが、今の会社に来てからその辺りの不満がなくなり、精神的に余裕が出てきたからだと思います。

給与は新卒相応なので、決して多くはありませんが少な過ぎという訳でもありません。ただ専門卒としては若干高い方かもしれません。家賃補助がないのが痛いですが、労働環境には満足しているのでこれから頑張って昇給を目指そうと考えています。

とはいえもっとお金が欲しいです。なので最近つみたてNISAを利用して投資を始めました。また会社でIPA応用情報技術者以上の特定の資格を取得すると報奨金がもらえるので、応用情報技術者試験の勉強も始めました。業務自体も良いパフォーマンスを保てるようにできる限り普段から睡眠時間を確保するように意識したり、昼休憩の時間には10分程度の仮眠を取って、少しでも活躍できて昇給を目指せるように努力しています。また個人でも開発を少しずつではありますが進めたり、数学や英語の基礎ができていないため勉強をやり直したりもしています。個人開発も数学と英語の勉強も、自身のスキルアップのためであると同時にお金のためでもあります。スキルアップをして活躍できれば昇給できますし、副業もOKの会社なのでその内副業もできるようになればと考えています。

何故お金が欲しいか。単純にできることを増やしたいからです。また金欠に怯えて我慢ばかりしたくないからです。僕は昔から貧乏でした。親からはよく金がないということを聞かされていました。直接的に金がないとは言わなかったですが、言葉や行動がそれを表していました。よく覚えているのが、爪を切る時にティッシュを使おうとすると新聞紙を使えと怒られたことです。一体何円の節約になるんでしょうか。専門学校に通うお金自体は出してもらったものの、それはそれまでお金を残していたからです。逆に言うとそれまでの生活が貧乏だったからできたことです。専門学校に通えたことは良かったですが、だからといってそれまでの生活が良かったことにはならないです。苦しかったです。

上にも書いた通り最近になって投資を始めました。以前から家計簿アプリを使用して月の支出を管理してお金には気を使ってきましたが、投資を始めるに当たってお金をどう運用するかなどより一層お金に気を使うようになりました。そうして思ったのが、やはり親のお金の管理はずさんで良くないものだったということです。

親は度々お金がないという話をしていました。小学生の頃からずっと聞かされていました。その中で聞いた話で、今思うと信じられないのが赤字を許容していたことです。僕が5,6歳の頃に祖父母が立て続けに亡くなったのですが、その遺産が結構な額あったらしく、それを切り崩しながら生活していたそうです。親もパートとして働いていましたが、朝から昼までの短時間のみで収入自体はそう多くはありません。何故赤字を許容するなどという恐ろしいことをしていたのか僕には分かりません。大きな病気をしたり、事故にあったり、突然の出費というものは急に訪れるからこそ困るんです。そして必ず1回だけしか訪れない訳でもありません。何度も訪れることもあります。何が起こるか分からない世の中で、今の時代生きる上で必須のお金がどんどん減っていっているのを何故許容できるのか。僕には怖くてできないです。そして赤字許容を何故子供がいるにも関わらず行っていたのか。それが余計に理解できないです。自分1人でも上に書いたように何が起こるか分からないので備えは必要ですし、その備えをどんどん切り崩していくのは怖いはずです。ましてや子供がいるとなるとその備えはより多く必要です。しかも子供が何かしたい、欲しいと言った時にそれを叶えてあげられないことがあります。他の家庭では当たり前のようにしていることでもできなくなったりします。

僕が小さい頃から貧乏生活をしていたことが原因で今も苦しまされることがあります。それは他人との価値観の違い、そして他人との環境の違いです。他人なので価値観も環境も違うのは当然です。しかし、いろんな人たちと接しているとその違いに傷つくことがあります。忘れられないことがいくつかあります。

  1. お小遣いを貰っている
  2. お年玉を10万以上貰っている
  3. 親なら普通は車の免許を取るためのお金くらい出してくれるでしょう
  4. 家族と旅行に行かないの?

僕はお小遣いを貰っていませんでした。またお年玉も毎年2,3万円ほどで10万なんて大金は貰ったことがありません。また小さい頃からずっとゲームくらいしか趣味がなかったため、その貰ったお年玉もゲームのために置いていたことがほとんどで、安くても新品で5000円もするゲームのために置いていると他のことにろくに使えません。もちろんどちらも貰ってないという人もいると思いますが、だからと言って僕から見てお小遣いを貰っていてお年玉も多く貰っている人が羨ましく見えない理由にはなりません。最近どこかで毎月5千円しかお小遣いを貰っていないと不満を言っている人がいた気がしますが、何を言っているんだと感じます(価値観や環境の違いなので仕方ないのですが)。

僕はまだ車の免許を持っていません。なのでそれを話した際に言われたことのある言葉が「親なら普通は出してくれるでしょう」です。専門学校の金を出してくれたんだろうと思うかもですが、確かに可能性はあるかもしれません。ただ僕が嫌なのは「普通」は出してくれるだろうという点です。7,8割がたは出すだろうくらいの言い方です。僕はそこまで親に期待できないです。そしてそう思える環境で育ってきたことが羨ましくあります。きっとお金のことで不自由をしなかったんだろうと。お金のことで我慢することもそんなになかったんだろうと。

誰かと話していると「過去に家族とどこどこに旅行に行った時に...」なんて話を聞くことがあります。僕は家族と旅行に行ったことは一度もありません。修学旅行以外で旅行をしたことがありません。話をしていて「家族と旅行に行かないの?」とまるで家族と旅行に行くのが当たり前の価値観として話されることがあります。僕は親とは仲が悪かったですしお金もなかったので、親と仲が良いこと、お金があることの両方がとても羨ましく感じます。

どれもそう頻繁に聞く言葉ではありません。ですがその少ない僅かの言葉でも強く頭に残り、無意識の内に反芻され、嫌な記憶として残ります。もちろん言っている人にそのような悪意はなく、その人が育ってきた中での価値観なので、責めるつもりはありません。ただただ辛いのです。

そんなことから僕は貧乏は倒すべき生涯の敵として認識しています。貧乏は生活だけでなく気持ちまで貧乏にします。やりたいと思うことがあっても我慢しないといけません。欲しいと思うものがあっても我慢しないといけません。我慢、我慢、我慢の連続です。僕は小さい頃からその我慢ばかりをして来ました。専門学校に行けただろうというそれだけのことで、他のすべての我慢がチャラになる訳ではありません。小さい頃にいろんなところに家族と旅行に行き、楽しい思い出を僕も作りたかったです。親にお金のことで頻繁に文句を言われ、自分よりもお金の方が大事だと言われるような家庭に生まれたくなかったです。だからこそ僕は貧乏を倒します。もう我慢ばかりしたくない。世の中はお金が全てではありませんが、ほとんどはお金です。

お金よりも愛情だと言う人はお金がない中で子供を満足に育てられるんでしょうか。子供1人を大人に育てるのに何千万とかかるそうですね。子供に貧乏を強要するんでしょうか。きっと子供はたくさん我慢をします。我慢をするのが美徳だと言うのであれば子供に我慢させずに自分が我慢して子供にお金をかけて、見本を見せればいいのでは?そうしたら子供も大人になって我慢をして子供を大事にします。僕は子供時代も大人時代も我慢ばかりは良くないと思いますが。また愛し合える大事な人もお金がなければ出会える確率はぐっと低くなります。お金がないので衣服もなかなか買えません。印象は悪くなりやすくなります。靴もボロボロです。靴も安物ばかり買っていては体の歪みなどにも繋がりかねません。そうすると姿勢も悪くなりやすくなります。当然食事を奢ることも難しくなりますし、プレゼントもそう高いものを買うこともできません。普段からお金が少ない中どう生きるかを考えているので、そもそも他人に気を使える余裕もそんなにありません。余裕がないのであれば恋愛をするなと言う人もいるかもしれませんが、お金がない人には人権がないのでしょうか?僕はそんな世の中は嫌です。

僕は将来子供を作るかどうかは分かりません。ただ生むのであれば自分と同じような思いはさせたくないです。お金で不自由をかけたくありません。また子供にも謝れる親でありたいと思います。

親には散々育てたお金を返せだなんだと文句を言われましたが、親との仲もお金さえ余裕があればまだマシだったはずです。この記事はその解決策を提示する訳ではありません。ただ最近お金のことで辛くて溜まらないから気持ちを吐露するために書いただけです。少子高齢化だ薄給だ年金もうダメだ2000万円貯めろと話題ですが、国はどうするんでしょうか。どうにかして欲しいですがあまり期待はできないので自己防衛ですね。